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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2019年1月17日 (木) 20:11時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版

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凄く単純なまとめ

 釈尊がこのよに居られなくなった時、おそらくは直弟子が居る間は彼らに訊くことができた。だからそれほど問題は起きなかっただろう。
 ところが、そのような人間が居なくなった時、頼るのは暗記していた典であり、修行方法を詳しく説いていたであっただろう。しかし、この段階に来たらOKという判定をする人が居ない。これは大きな問題となっただろう。

これがおそらくは「授記」という形になったのだと思われる。さらには、「見仏」につながったとみて良い。

 さて、教えは誰が‥‥という問題に突き当たり、確かに経典には書いてあるが、そこには「この世は作られたものであり、作られたものである限り、主体<我, ātman>はない」と言うことを教えられている。その主体は何によって作られているかというと、それは縁起によって、つまり関係性によって作り上げられている、という一種の法則を見出すのである。
 そこで、この関係性というはたらき()が、この世のすべての基盤にあるということを見出した学僧たちは、それを思惟することとなる。
 しかし、それでは考えようがない。そこで、そのはたらきの主体を仮に定めることによって、考えを進めようとする。それが法身であると言える。つまり、法身は教えそのものであり、関係性そのものである。もっといえば、この世を作り上げているはたらき(用)を指している。
 はたらきそのものであるから、体はない。この考えは、さらに宇宙全体を形作っている体に、毘盧遮那仏・大日如来という名を付ける方が考えやすい。つまり、自分のさまざまな状況が生じている用(はたらき)に、仮に主体を設定して、さまざまな名をつけて、驚くほどたくさんの仏・如来が登場することになったと考えて良い。
 仮に置いた主体であるが、人間の煩悩は安易な方向に動くものであるから、主体と言うものが「存在する」と錯覚する。それが、事実と混同され、仏の存在を認めることとなったのである。
 さらに、人間は自らの状況を、自らの思いのままになるべきだとする煩悩を持っていることに気付かないので、仏がゐますなら、この苦悩(それが煩悩から生じた迷いであることに気付かず)を解決するはずである、と確信(もちろん、妄信とも迷信とも言える)するのである。それを解決するために現われたのが釈尊であったと応身を設定するのであり、さらには、多くの大乗仏を登場させたのである。それが薬師如来であったり、阿弥陀如来であったりする。
 しかし、その仏・如来は動いて我々を助けてはくれなさそうだ、として手先となって我々を直接助けてくれる菩薩を続いて想定する。これは、ジャータカなどに書かれた、釈尊の前生が様々に動いて、様々な有情を助けたことからの発想だと言える。

ここで気付くのが、人間が仏・菩薩を求めることが先である。仏・菩薩が先に存在すると経典には書いてあるのだが、求めない限り存在しないのである。そこに注目しないと、阿弥陀如来が先に存在して、私はすでに救いの手の中にある、となってしまう。頼まない限り、阿弥陀如来は少なくとも私には存在しないのである。求めたときに、阿弥陀如来の慈悲が届いていることに気付かされるのである。マイコン坊主 (トーク)

 このように、三身説は大乗の多くの仏・菩薩を産み出してきた。 マイコン坊主 (トーク) 2017年4月13日 (木) 05:16 (JST)

仏身論 〔総論〕仏陀の身についての種々の考察をいう。仏陀観を教理的に組織したもの。仏教は仏陀の教えであり、また仏陀となることを目的とする教えであるから、仏陀の観念に対する見解の表明というべきものは、すでに最初期の仏教において認められる。釈尊自身は法を信ずる立場に立っていたので、自分のなき後は法をよりどころとせよと遺言したが、仏弟子たちは仏陀たる釈尊の人格を通して法を信奉したので、釈尊は在世時代から超人性をそなえたものと見られ、彼の滅後にはこの傾向はいっそう強くなった。精神的には種々の特殊な能力を有し、肉体的には偉人(大人)の相である三十二相をそなえるものとされた。
 仏陀の存在はつねに法の永遠性と普遍性との密接な関係において考えられ、それにもとづいて種々の仏陀観が発達した。釈尊の寿命は有限で滅するが、その説きのこした教法は永続するゆえに、それを法身と称し、そこに不滅の人格の反映を見る思想が成立した。また法の永遠性を過去にさかのぼって考え、釈尊以前のはるか遠い昔から、毘婆尸仏・尸棄仏・毘舎浮仏・拘留孫仏・拘那含牟尼仏・迦葉仏という6人の仏が次々に出現して法を説き、現在の釈迦牟尼仏にいたったという信仰が現われた。これを過去七仏というが、この信仰の成立はきわめて古いと推定される。過去仏は時代とともにしだいに数多く立てられるようになり、さらに未来にも諸仏が継続的に出現する予定であると説かれるにいたった。
 また現在においては、この娑婆世界だけでなく、他方世界にも諸仏が存在すると信ぜられたが、この思想は特に大乗仏教時代にいたって明瞭に主張された。かくて大乗においては、過去・現在・未来において、また十方世界の無数の国土において、無数の仏が出現すると説かれるにいたった。
 また小乗の諸部派でも仏身の考察がなされたが、大きく見て有部と大衆部に代表される2つの思想傾向があった。有部は現実的な仏陀観に立って釈尊の生身に意義を認め、それは過去の業に規定せられてこの世に生まれでたものであるから有漏法であるが、他方、仏陀の成就した十力・四無所畏などの仏徳は無漏であってこれが法身であると説いた。これに対し大衆部は理想主義的な仏陀観に立って、諸仏如来はすべて出世間であって有漏の法はなく、またその色身・威力・寿量は無辺際であり、一音をもって一切法を説き、一刹那の心に一切法を了知すると主張した。この大衆部の理想主義的また超人的な仏陀観は大乗仏教に受けつがれて一層発展し、大乗経典一般において、仏陀は、無量の寿命と無量の智慧の光をそなえるものと説かれるようになった。 〔諸説の発生と展開〕以上のような仏陀観を組織づけて、まず二身説が説かれるようになった。二身は通常、法身と色身であるが、前者は法性身、法性生身、後者は生身、父母生身など種々の呼び方がある。 また二身を真身と化身と称することもある。
 二身のうち前者は、永遠なる法と一体であるところの仏陀、あるいは時間的空間的に無限であるところの超人的な仏陀を指し、後者は肉身をもってこの世に生まれた存在である釈尊、あるいは有限な人間存在として出現した仏陀を指す。
 二身説がさらに発達して4、5世紀頃から弥勒・無著らによって創設された唯識学派を中心にして、三身説が説かれるようになった。三身には種々の呼称があるが、一般には、
(1)法身(dharma-kāya)
(2)報身(vipāka-kāya?sāṃbhoga-kāya?)
(3)応身(nirmāṇa-kāya)
と称することが多く、唯識学派では、
①自性身(svābhāvika-kāya)
②受用身(sāṃbhogika-kāya)
③変化身(nairmāṇika-kāya)
と称している。
(1)法身は悟りの内容である法を仏の本質であると見たもの
(2)報身は菩薩が発願し修行を完成し、その報いとして悟りの果を得た仏身
(3)応身は衆生を教化するために相手に応じて現われる仏身であって、生身の釈尊のごとく歴史的存在としてこの世に出現した仏陀はこのなかに含まれる。
 次に
① 自性身は法身とほとんど同じ意味のものである。
② 受用身は、悟りを達成して大衆のなかに現われ、法の受用を中心にして仏国土その他の受用をなす仏であって、大体報身にあたると見られるが、これに自受用身と他受用身とを分かつ。自受用身は自らのために法の受用などをなす仏であり、他受用身は、初地以上の菩薩のために身を現じて彼らに法の受用をなさしめる仏である。
③ 変化身は衆生教化のために歴史的人物としての姿を取って現われた仏であって、大体応身と同じであるが、特に初地以下の菩薩・二乗・凡夫のために身を現じたものをいう。
 三身の中心は法身あるいは自性身であって、他の二身はそれにもとづいて成立するものである。諸経論において三身の呼称は種々であり、また訳語による呼称の相違もあるが、さらに三身に関する所説も種々であって必ずしも統一的でない。法身は真如・法そのものであるとされるが、同時にその真如を悟る智慧を達成し、無限の人格を表わした仏として説明されることが多く、この点、報身あるいは自受用身と不離の関係にある。また報身は他受用身としての意義をもつ場合は、むしろ応身と称してもさしつかえないものである。さらに応身において修行の低いもの、特に人間以外のものに対して応現した仏を化身と称することがある。
 このように種々の説が存するが、慧遠の『大乗義章』(巻19)が説くところに従って、これを、合真開応説と開真合応説の二つの類型に分けて説明することが行なわれている。この学説は本体としての仏を真身、それより応現した仏を応身と称し、両者の関係において三身を考察するものである。合真開応説は、真如とそれを悟る智とが不二一体の状態にある仏を「法身」、初地以上の菩薩に対して応現した他受用身を「応身」、そのほかの二乗あるいは修行の低いものに対して応現した仏を「化身」と称する。開真合応説は、真如の理を「法身」、悟りの果として真如を見る智を得た仏を「報身」、修行の高低を問わず衆生一般を教化するために応現した仏を「応身」と称する。この二つの説を比較すると、前者の法身は、後者の法身と報身を合わせたものであるから、「合真」といい、後者の法身・報身は前者の法身を二つに開いたのであるから「開真」という。前者の応身・化身は後者の応身を二つに開いたものであるから、「開応」といい、後者の応身は前者の応身と化身を合わせたものであるから「合応」という。応身と化身は同じ意味に用いられることが多いが、両者を区別すれば、法身・報身・応身・化身の四身説が成立する。また受用身について、自受用身と他受用身を区別するときにも四身説となる。
〔密教の化身論〕大乗仏教の仏陀観の特色として、仏陀の遍在性の思想と応現思想をあげることができる。初期大乗仏教においては前者は特に『華厳経』、後者は『法華経』に表わされていると見られよう。このような思想が最も発達高揚されたものは密教である。密教の曼荼羅は、大日如来を中心にして諸仏・諸菩薩・諸天・明王などが聚集した姿を図形などによって表わしたものであるが、これはこれら一切が大日如来の悟りの境地に包まれ、それによって統一されていることを象徴している。胎蔵界曼荼羅においては、中台八葉院(大日如来を中心に四仏四菩薩を配す)を中心にして、四重にならぶ十二院を区画し、それぞれにおいて諸尊が配置されている。ここで第一重(遍知院・持明院・観音院・金剛手院)は自性法身を、第二重(釈迦院・虚空蔵院・地蔵院・除蓋障院)は受用法身を、第三重(文殊院・釈迦院)は変化法身を、第四重(外金剛部院)は等流法身を表わすとされる。等流法身とは仏が教化の相手と同じ人間の種類あるいは天・獣畜の種類の姿を取って現われたものをいう。また金剛界曼茶羅においては、全体を九会に分かち、その中心を羯磨会(根本会)と称するが、この掲磨会をはじめとして、第二会、第三会、第四会、第八会、第九会においては大日如来を中心にして四方に、阿閦仏・宝生仏・阿弥陀仏・不空成就仏の四仏が配されている。そしてこれら五仏が唯識説の四智と三身に結びつけられて解釈されている。すなわち、大日如来は、法界体性智であって法身を、阿閦仏は大円鏡智で自性身を、宝生仏は平等性智で自受用身を、阿弥陀仏は妙観察智で他受用身を、不空成就仏は成所作智で変化身を表わすという。さらに時代が進むと、五仏は、それぞれその配偶者としての明妃を有することによって、それより多くの仏・菩薩を出生するという思想が説かれた。そしてこのような思想が発達の極に達して本初仏(ādibuddha)の信仰が成立した。本初仏は宇宙の本源としての仏であって、永遠にして独存し、諸仏および万有はこの仏より生ずると説くものである。この信仰は11世紀頃より金剛乗の一分派として成立した時輪乗において行なわれるようになり、現在のネパール・チベットの仏教に及んでいる。(勝呂信静)