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ししゅほっかい

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

四種法界

 一眞如法界は万有を総該する究極の真理なり、その義相を分別するに4種あり、四種法界という。

事法界

 「事」は色心万差の事物なり。即ち松は松、竹は竹と差別して眼前に現はるるもの、即ち縁起をもってそのとなす。この時は法界の「界は分の義」にして万差の諸法分分に別れたのを法界という。

 眼前に見るところの事事物物の差別的現象の世界。現象差別の面から見た、全宇宙。

理法界

 とは真如平等の理にして弥勒にあってもなり、凡夫にあっても如なり。法界平等にして――真如の理なり。即ち無相を以てその相となす。この時は「界は性の義」にして真如はこれ万法の体性なれば法界という。

 宇宙の事物はすべて真如であるとする法界観。平等普遍の真如の理。

事理無礙法界

 色即是空空即是色にして事理交徹すると水即波波即水なるが如きをいう。即ち互融をもってその相となす。この時は界に「分と性との二義」をそなえ、分かれている事相体性の真如と無礙円融するのを法界というのである。

 理から現われた事と、事に遍満する理とが、さまたげなく融け合って相即する関係にあること。

事事無礙法界

 万法は「理性より縁起するもの」なれば理性の融通する如く所起の事相もまた円融すること――父母より生ぜし兄弟姉妹の血肉相通じて和融一味なる如し、差即渉入をもってその相となす。この時も界に「分性の二義を具し別別の事相が理性の如く事事無礙渉入する」を法界というなり。

 一切の事物はみな理から現われて理と不二なるがゆえに、理の平等であるがごとく事もまた平等であり、甲の事と乙の事と相即無礙であるということ。水波のたとえでいえば、水と波との相即を一歩すすめて波と波との相即無礙を論ずること。現象界の諸事象が相互に密接に連関していること。

それぞれの関係

 さて一真法界よりこの四法界を義分する所以の者は一真法界に真如生滅の二門あり、即ち不変随縁の二義なり。よってそのの随縁の義辺を取って事法界を立て、その不変の義辺を取って理法界を立て、その二門渉入する義辺を取って事理無礙法界を立て、更に生滅門において事事渉入する義辺を取って事事無礙法界を立てる。そうして真如門において理理渉入する義辺を取って理理無礙法界を立てないのは、理は本来平等であって更に渉入を論ずべき義別理なければなり。
 以上四法界中第一法界を除き後の三法界に於て3種の観法を立てる。

  1. 真空絶相観    理法界
  2. 理事無礙観
  3. 周遍含容観    事事無礙法界

 これを華厳法界の三観と称し、華厳宗行者の観法とし漸次修習して事事無礙法界の境に入るをその至極とする。華厳の入法界がこれのことである。

 清凉新経疏に云わく。統べて唯だ一の真法界なり。謂く万有を総該する即ち是れ一心なり。然るに心万有を融す。便わち四種法界と成る。一事法界。界は是れ分義。一々差別に分齊有るが故に。二理法界。是れ性義。無尽の事法同一性の故に。三理事無礙法界。具性分の義を具す。性分無礙の故に。四事事無礙法界。一切の分齊の事法、一々性の如く融通し重重無尽の故に。〔註法界観門〕