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ろんぎ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

論義

論議とも書く。

 法門を明らかにするための議論をいう。講論、法問、問答などとも称する。インドでは、仏陀の入滅後、諸弟子の間に問答論義が行われ、次第に阿毘達磨が整備され、また外道の論師たちとの間にも盛んに識論が行われた。
 世親陳那商羯羅主などに至って論義の方規が因明の作法によって定められることになった。中国でも、束晋の支遁が維摩経を講じ、許詢を都講として論義したと伝えるように、古くから諸寺の講会において論義が盛んに行われ、また道士・儒者との論戦も交えられた。
 日本では、白雉3年(652)恵隠が内裏で無量寿経を講じ、恵隠が論義をつとめたのが最初とされ、平安以降ますます盛んになり、季の御読経や宮中御斎会・仙洞最勝講・興福寺維摩会・薬師寺最勝会・法勝寺大乗会・円宗寺法華会および最勝会などの勅会にはみな論義が行われ、また延暦寺の六月会広学竪義、東寺の鎮守講論義・二十一日論義・八祖論義・五日十座論義、長谷寺の報恩講論義、唐招提寺の南山論義なども行われた。
 江戸時代には諸宗の学僧を江戸城に集めて論談させる幕府論義が行われた。その形式により、識者と問者が二人一組になって行うものを番論義(つがいろんぎ)と呼び、講者と問者が互いに交替して行うのを向論義と称する。また法楽のために行う法楽論義、勧学のために行う勧学論義などの種類があり、宮中のものを内論義(または殿上論義)、仙洞のものを仙洞論義などと称した。