いちねん
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
一念
極めて短い時間をあらわす単位、或いは瞬間のひとおもい、或いは一たび念ずること、また事が成就するそのときという意味。
時間の単位
一刹那<いっせつな>または60刹那、90刹那をいい、或いは一弾指<いったんじ>の60分の1または400分の1を「一念」という。極めて短い時間のことであるから、現在の瞬間、同時(無前無後)という意にも用いられる。
またその瞬間の心をも指す。一念頃、一発意頃<いっぽっちきょう>というに同じ。
- 百一の生滅を一刹那と名づく。六十の刹那を名づけて一念とす。 〔浄土論註 (註釈版)p.301〕
回数の一念
一たび念ずること。eka-cittaの訳。念は思念の意であるが、中国では心念(心に思うこと)、観念(法性の理や仏の相好、或いは時節の因縁や衆生の素質能力などについて観ずること)、称念(仏名をとなえること)、などの種々の意とされ、浄土教では善導の註釈を承けて念を称念の意とし、念声是一といって一念を一声にあて、一念の称名などという。
浄土真宗ではそれを行の一念といい、信の一念に対比する。信の一念とは、信心をはじめて得たその瞬間(時間的)をいい、また阿弥陀仏を一心にたのんでふたどころのないこと(心のすがた)を指していい、その信を一念の信、聞信の一念、一念喜愛心などという。そのとき浄土へ生まれる因がさだまるから一念業成<いちねんごうじょう>とし、これを事究寛<じくきょう>の一念と解することもある。
また信の一念によって往生が定まり、自己のつくる罪も地獄におちる因とならなくなることを一念滅罪といい、疑心が去ってよろこびが多いことを一念無疑、一念慶喜、一念歓喜などといい、信心或いは称名の利益の広大なことを一念大利という。
『法華経』分別功徳品に
- 能く一念の信解を生ぜば、得る所の功徳限量あること無からん
とあるが、一念信解とは一たび説法を聞いて疑いなく、心がひらけてあきらかとなることで、この位を天台宗では観行即、或いは相似即とし、日蓮宗ではこれを名字即とする。
天台宗では、心にあらゆるものごとが悉く欠けるところなくそなわっているとして、その心を一念という。
一念相応
一念相応とは、『大般若経』巻393では刹那の一念と相応する慧によって即時にさとりを得ることをいい、『大乗起信論』などでは本覚と始覚とが相応した理智冥合の無念の念をいい、浄土真宗では行者の信心と仏の願力の一念が相応することをいう。