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けいか

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

恵果

746年 - 805年。中国、唐代の密教の高僧。陝西(せんせい)省の人。

 初め長安の青竜寺の曇貞(どんてい)に、ついで大興善寺の不空三蔵に師事して密教を学び、その秘奥(ひおう)を究めた。

 代宗の帰依を受けて内道場の護持僧となり、また青龍寺の東塔院に住して密教を広め、ついで徳宗、順宗の崇敬を受け、三朝の国師と仰がれた。
 また民衆教化にも努め、門下には義明(ぎみょう)、義円(ぎえん)、弁弘(べんこう)、慧日(えにち)、義操(ぎそう)、惟上(いじょう)ら多くの人材を輩出した。
 805年に日本の空海が青龍寺において恵果から金剛界(こんごうかい)、胎蔵界(たいぞうかい)の灌頂を受け、付法(師が法を伝授すること)の弟子となった。
同年12月 恵果は60歳で寂した。

 義操が師の後を継いで青竜寺主となり、空海は恵果追悼の碑文を書き、帰国して真言宗を開いた。日本の真言宗では、恵果を真言付法の八祖のなかの第七祖と仰ぐ。

 著作に『十八契印(げいいん)』『灌頂儀軌(ぎき)』などがある。