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けんげん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

顯現・顕現

 現われること。原語は pratibbāsa, āchāsa, avabhāsa (S); anań ba (T) である。「似…生」「似…現」などとも漢訳される。
 唯識説において重要な意味を有する語で、認識される対象(artha)と認識する主体(vijñāna)との関係を示す概念。その意味は、第一には得知されること(見・聞・覚・知されること)であって、顕現は、その意味を表わしている。第二には、その得知されるものが得知されるにもかかわらず、実在でないこと、その意味では無であることを表わす。「似」はこれを意味している。
 唯識説の術語としての pratibhāsa は、いつでもこの2つの意味を合わせたものとして使用されている。〔唯識二十論 T31-71c〕

色性なくして清浄なる虚空の相が顕現す。
諸の色法の相貌・影像が顕現す。
  • 「顕現相似」  pratibhāsate
  • 「所顕現」   saṃprakyāna

 vyakta  現われている(もの)。見える(もの)。〔仏所行讃 T4-23c〕

 khyā   真実・真理が顕現すること。「真如が顕現す」

 現わす。〔十二礼〕

 khyāti  現わし出すこと。〔入正理論〕

 沈隠に対する語。阿頼耶識にある種子がはっきりと認識されえない深層的なありようを沈隠というのに対して、はっきりと認識される表層的な識のありようを顕現という。「識は顕現し、種子は沈隠す」