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けんじわく

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

見思惑

 見惑と思惑。ともに三界(欲界・色(しき)界・無色界)内に存する煩悩である。天台宗で立てる三惑(見思惑・塵沙惑(じんじゃわく)・無明惑)の一つ。

 見惑は三界の理に迷うもので見道において断ぜられる。思惑は「修(しゅ)惑」ともいい、三界の事(じ)(現象)に迷うもので修道で断ぜられる。この2惑は三界の生死を受ける因であって、これを断滅することによって修行者は三界の生死を超越する。そしてこれより進んで塵沙惑を断じ、さらに無明惑を断ずることによって次第に悟りを向上せしめ、究極の仏果に達する。この二つの概念は、もと小乗の阿毘達磨において見道で断ぜられる煩悩と修道で断ぜられる煩悩を分けて説いたのを、天台宗が取り入れ再組織したものである。見道は四諦の理を観じてはじめて聖人の位に入る段階、修道はその後に同様の修行を繰返し行なって行く段階である。


 況んや惣(すべ)て三界の見思の惑を断じて二乗の果を執(と)れる昔だにもなし    〔真如観〕