しょうとくたいし

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聖徳太子

 聖徳太子は、用明天皇の皇子として、574年に生まれる。

 父親の用明天皇のころは、廃仏派の物部氏と、仏教を守ろうとする蘇我氏が激しく対立していた。太子は蘇我馬子とともに物部氏を討ち、仏教を擁護する。
 後に、推古天皇が即位すると、聖徳太子は皇太子となり、摂政となって馬子とともに推古帝を補佐する。
 太子は、難波に四天王寺を建て、仏教興隆の詔を発して、日本を仏教によって治めようとする。また、高句麗から渡来した慧慈を師として仏教を学び、『法華経』『勝鬘経』『維摩経』の三経を注釈して『三経義疏』を著す。この中に、有名な「世間は虚しく仮のものでしかなく、ただ仏のみが真実である」という言葉も記されている。

 このように、日本に仏教を定着させた大恩人として、親鸞は大変に太子を敬っている。
 親鸞二十九歳の時に、六角堂にこもったとき、聖徳太子が救世観音の化身として現れる。このときお告げを受けて、法然の下に行き、念仏の道に入った。
 それを

大慈救世聖徳皇 父のごとくにおはします
大悲救世観世音 母のごとくにおはします

と和讃に詠っている。このような縁で、浄土真宗では本堂に絵像を掛けて聖徳太子を奉賛している。
 太子は、623年2月22日50歳で亡くなる。