しんに
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
瞋恚
dveṣa, pratigha, vyāpāda (S) dosa, paṭigha, vyāpāda (P)
心作用の一つ。仏教の教えの中で、特に心の働きを中心に説明する倶舎宗では、不定地法の一つとみなす。唯識の教えでは、三毒の煩悩の一つとして修行者にとっての最大の障害とみている。
六煩悩の一つ。自分の心にかなわないことに対し憎しみ憤る心作用のこと。
望ましくないものを排斥したり回避しようとすることで、不快感にもとづく行為の機動力に当たる。一般には、怒り・嫌悪などのことをいう。
煩悩の一種。怒り、不機嫌などの心理状態、「瞋恚」と漢訳される語には、一般に上に列挙したような3種類がある。これらの三語は漢訳では単に「瞋」「恚」「怒」などと訳出されることもある。ドゥヴェーシャ(dveṣa)、プラティガ(pratigha)、ヴィヤーパーダ(vyāpāda)は、語源的にはまったく異なる語であり、それを反映してこれらの三者は用例からみた場合には、それぞれ用いられる場所が異なっている。
三不善根・三毒・三垢・三火などのなかにみられる瞋はドゥヴェーシャであり、七随眠・七結・十結などのなかで用いられる瞋はプラティガ、五蓋・四繋のなかで用いられる瞋恚はヴィヤーパーダである。また、パーリ仏教では心所法における「瞋」を説く際にはドーサ(dosa)を取るが、それに対して北伝の説一切有部や唯識仏教では、心所法における「瞋」としてはプラティガを取る。このことは、パーリ仏教の心所法の「瞋」は、三不善根のなかの瞋不善根(ドーサ・アクサラムーラ)にもとづき、一方有部や唯識仏教の心所法の「瞋」は,七(六)の随眠のなかの瞋随眠(プラテイガ・アヌシャヤ)にもとづくことに起因するのである。
しかしながら、これら三者のあいだには必ずしも意味のうえでの明確な区別は存在しない。これらの語はいくつかの部派や、また時代の相違によって少しく意味の違いが存在したようであるが、概していうならば、自分の考えに反することを言ったり、不利になることをしたりするような、自らの意向に抵触する言動を行なうものや、また目的達成の妨げになるものなど、好ましくない対象に対する反発から起こる心理状態をいうのが普通である。具体的には、激しい怒り、憎悪、不快、不機嫌というような心の状態を意味することになる。
この「瞋恚」は、仏教で説く最も基本的な煩悩のグループである「貪・瞋・癡」の三不善根のなかに含まれており、きわめて重要な煩悩の一つである。原始仏教、アビダルマ仏教を通じてさかんに論じられた煩悩法の多数のグループのなかにも、この「三不善根」の変形によるものが数多く見出せる。
さらに、たとえば後世の唯識仏教において重要視された、貪・瞋・慢・無明・見・疑のいわゆる根本の六煩悩などもその変形の一例といえる。なお、忿・恨・害などという煩悩の心所法も、同じくこの「瞋恚」の
部類に含まれる。このうち忿(krodha, kodha)は激しい怒りや癇癪を、恨(upanāha)は怒りが心のなかで継続した場合の「うらみ」を、そして、害(vihiṃsā)は怒りが表に出て他に危害を加えようとする場合の心理状態をそれぞれ意味するものである。