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じゃな

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

闍那

jñāna (S)

 「√jñā」からの名詞で「知ること」を意味するサンスクリット語である。

 インドでは「見ること(dṛś)は、知ること(jñā)であり、真に知ることは、成ることである」という。そこで、「知る」ことは根本課題となっている。
 この「jñā」の語義は、かなり広く、アプテ(V.S.Apte)によると、

  1. to know in all senses、 感覚器官による知であり、認識知をいう。
  2. to learn、学習によって知ることであり、理解知、経験知をいう。
  3. know the true character of、 最終的には、知ることは自己の所有となる。

 この語根√jñāは、接頭辞を伴って様々に変化し、インド仏教のいくつかの結論に現れてくる。

了知

ā-jñā。 近く知るという意味で、「了知」と言われる。

対知

abhi-jñā。 ~に対して知る。

遍知

pari-jñā。 あまねく知る。

識知

vi-jñā。 分けて知る、というところから、分別知とも言われる。唯識学派でしばしば使われる用語である。

saṃ-jñā。 総合して知る。

智慧

pra-jñā。 現前にただちに知る、という意味だが、般若とも訳され、仏の智慧をいう。