ちえ

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智慧

 この語に対応するサンスクリット原語は必ずしも特定できないが、原語と実際の訳語の用いられ方を考慮すると、代表的なものとしては、次の3通りの用例が見出される。
 第1には、原語prajñā(प्रज्ञा skt.)、paññā(पज्जा,pali)の訳語として、智慧一語で、音写語の般若と同等の意味合いで用いられる場合。
 第2には、が原語jñānaの訳語、が原語prajñāの訳語として、智と慧という二つを示す用語として用いられる場合。
 第3には、いちいち対応する原語が意識されずに、漢訳語として独自の意味をもつ場合。

 智慧を表わす語としては、上記の二つ(智と慧)のほか, vidyā(明)、medha(慧)、bhūrī(広慧)、darśana(見、 jñānadarśana 知見)、dṛṣṭi(見、samyag-dṛṣṭi 正見)、vipaśyanā(観)、anupaśyanā(随観)、parijñā(遍知)、abhijñā(証知)、ājñā(了知)、samprajāna(正知)、mimāṃsā(観、観察)、parīkṣā(観)、pratyavekṣaṇa(観)、dharmavicaya(択法)、pratisaṃvid(無碍解)、mati(慧)、dhī(慧)などがある。
 このうち, jñāna(智)とprajñā(慧)は阿含経典では区別されない場合が多いが、アビダルマでは智は仏智(知識内容)、慧は一般的には基本的な心作用の一つとして道理を弁別簡択)するはたらきを指すものとして区別される。すなわち、禅定などの修行によって獲得される無漏の慧(三学の一としての慧学)のほかに、凡夫の有漏の慧もそこに含める。他方、智と対立し、価値否定的な機能としては(vijñāna)があげられる(識に依らず、智に依れ、四依の一)、しかし知識論のうえでは, jñānaもvijñānaも同義語として扱われる。

 照見名智。解了称慧。此二各別。知世諦者名之為智。照第一義者説以為慧。通則義齊。    〔大乗義章9〕
 梵云2般若1。此名為慧。当知第六度。梵云2若那1。此名為智。当知第十度。    〔瑜伽論記9〕

般若

 仏教無常の道理を洞察する強靭な認識の力を指す。この用語としては、仏教の代表的実践体系である六波羅蜜の最後に位置づけられ、それ以前の五波羅蜜を基礎づける根拠として最も重要なものとみなされている。

智と慧

 智と慧のうち、後者のが「般若」の意味を担うが、これに対するは、更に慧よりも境界の高いものと教義的には規定されている。
 この場合のは、仏教の実践体系が六波羅蜜以外にも展開されて十地として整備されたときに、第六地ではを、第十地ではを得るというように順列化されたために、慧よりも一段高いものと見なされたにすぎず、基本的にはの働きを十地の展開に合わせて拡大したものと考えることができる。
 部派仏教では、十地の展開とは無関係に、智が詳細に分類され、特に説一切有部では、十智や有漏智・無漏智の分類に基づく、種々の概念規定が試みられた。
 大乗仏教では、特に唯識で説かれる、通常の認識活動を転換した智としての四智、智の段階的な進展を示す加行智・無分別智・後得智という三智が代表的なものである。

智慧

以上に示した種々な意味合いが、智慧という一語に込められて広い意味で用いられている。この場合には、多く、世俗的なさかしらな識別に対して、世事を離れた、あるいは世事を見通す叡智を指して用いられる。