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たりき

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

他力

初期の概念

 自力の対。他の力。他人あるいは他のものの作用。〈para-tantra (S)、mitrād āttā〉
 「依他力法」〈pāratantrya (S)〉

 若し他力有りて逼りて此の中に入るとも、因は即ち同心なれば亦た殺罪は成ず。〔倶舎論、T29.0086b〕

参考:自力他力

浄土教

 自力に対する語で、自己に備わった能力を使うことを「自力」、仏・菩薩などの働きを「他力」という。しかし、縁起を根本とする仏教の考えからすれば、自己の行為()はすべて「他力」と考えられる。そこで、すべての仏教宗派で「他力」は言われる。
 行に関して「自力」「他力」を区別する場合、上記の考えから行者の心構えの問題とされる。

また他力と申すことは、弥陀如来の御ちかひのなかに、選択摂取したまへる第十八の念仏往生の本願を信楽するを他力と申すなり。如来の御ちかひなれば、「他力には義なきを義とす」と、聖人(法然)の仰せごとにてありき。    〔『末灯鈔』p.746〕
義無きを義とするが他力の講釈なり。行者のはからひのなきを他力と云ふ。此義が浄土真宗のしめくくりの義なり。    〔円乗院宣明述『教行信證講義』〕
  • なお、浄土宗・浄土真宗でいう他力本願とは根本的に異なった語であるので、注意が必要である。

他力

para-bala (S)

浄土教以外での他力
 他者の力・自己以外の力。自力の反対語。

他力によって起こる慧を聞所成慧と名づけ、自力によって起こる慧を思所成慧と名づけ、倶力によって起こる慧を修所成慧と名づく。
依他起自性とは、謂く、衆縁によって生じ、他力に依って起こるところの諸法の自性にして、自然有に非ざるが故に無性と説く。