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たりきほんがん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

他力本願

浄土教阿弥陀信仰の根本となる考えである。

 (りき)とは「力用」(りきゆう)のことであり、働きのことを指し、その意味で他力とは自ら以外の他者の働きのことを言う。
 しかし、「他力本願」となると、意味あいはまったく異なって、親鸞教行信証 で「他力というは如来の本願力なり」と書いているように阿弥陀仏の本願の働きである。
 ここで、本願とは自身が立てた「願」であって、その願力によって衆生浄土往生することができるから、「他力本願」というのである。「他力」とはそのまま「阿弥陀仏の本願の働き」であり、さらに自らの働きもしくは行によっては往生は成就しないということをも意味している。
 この意味で、「他力」の対語は「自力」であるが、浄土教ことに浄土真宗では「自力」の対語は「他力本願」であり「他力」ではない。

 さて、このように他力本願とは阿弥陀仏の本願の働きであり、その働きは浄土への往生のためだけでなく、今この時にも働き続けていると解釈するのが親鸞の独自性である。彼は、浄土への往生を喜ぶだけでなく、将来は往生して浄土で仏となることが確約されている現在を現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)と説明し、現実に生きていることが、阿弥陀仏の智慧から生じた慈悲(本願)の働きによって生かされていることであるとして、日々を喜びながら生活したのである。


 日本では一般的に、「ひと任せ」「他人依存」という誤用が定着している。
 「じゃあ、ここまで書いたので、誰かあとお願いね(他力本願モード)」というような使い方が、誤った使い方である。
 2002年5月、オリンパス光学工業が全国紙に「他力本願から抜け出そう」というコピーで広告を掲載した。それに対し浄土真宗各派が厳重抗議し、その結果オリンパス社は広告を撤回、謝罪している。このような誤用は、「他力本願」という言葉自体が広く知れ渡っているためであるが、宗教的にも重要な言葉であるから、注意が必要であろう。