さとりを求めようとする心も衆生を教化しようとする心もなく、空になずむこと。
大乗の菩薩二阿僧祇劫の終に、第七地に於て専ら無相観を修し、上に菩薩の求むべきなく、下に衆生の度すぺきなし。是に於て鈍根怯弱の菩薩は此空相に著して自他の大行を廃するを七地沈空の難と云ふ。
空(すべての存在は実体がないという見解)の立場に執し、沈んでいる三論宗の意。〔『報恩抄』33, 1215〕