ado-vad: apavāda (S)
「撥<ハツ>」とおなじ。存在しないと否定すること、存在を認めないこと。 仏教は、特に因果の理を否定する見解を因果撥無の邪見といい、その邪見によって善根(善を行なう力)が断ぜられると強調する。
因果を撥無する邪見に縁って能く善根を断ず。
邪見とは、不善の丈夫に親近し、非正法を聞き、不如理に作意するが故に、因を撥し果を撥し、或いは作用を撥するを謂う。