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ふしん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

不信

āśraddhya (S)

 随煩悩の一つ。すんできよらかではなく(不澄浄)、真理・真実を信じない心。
 経論によってその定義は異なるが、『成唯識論』によれば次のようになる。

  1. 「実有を信忍しない」
    実際に存在する事物(事)とその事物を支配する真理(理)とを信じないこと。
    因果の法則(理)とその法則によって生じる事象(事)とがあると信じないこと。
  2. 「有徳を信楽しない」
    仏・法・僧の三宝の徳を信じないこと。
  3. 「有力を信じて希望しない」
    人間には善いこと(善法)を行なう力があると信じないこと、あるいは善法は善い結果をもたらす力があると信じず、善法の獲得を欲しないこと。の反対。

〔成論6、T31.0034b〕

 不信とは、謂わく、心不澄浄。〔倶舎論4、T29.0019c〕
 云何不信。謂わく、仏法僧に於いて、心清浄ならず、苦集滅道に於いて、順ぜざるに解生ず。〔瑜伽師地論62、T30.0644c〕
 不信とは、謂わく、愚痴の分なり。諸の善法に於いて、心忍可せず、心清浄ならず、心希望ならざる体を為す。〔大乗阿毘達磨集論1、T31.0665a〕