ぼんのうそくねはん
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
煩悩即涅槃
衆生の煩悩も真如が無明の薫習を受けて生じたものであるから、真如と別のものではない。そのために煩悩のある衆生がそのまま涅槃に住しているとなす。これは煩悩即菩提、生死即涅槃というのと同じである。
しかし生死の苦しみの現実が、そのまま涅槃だといわれても、そこで苦しんでいる衆生の苦が消えるわけではない。したがって生死即涅槃を現実のものにするためには、修行が要求される。実践を無視した生死即涅槃は無意味であるが、しかし衆生がもとから涅槃に住していないのであれば、いかに修行をしても涅槃に入ることはできないであろう。瓦を磨いても金にならないごとくである。したがって衆生にはもとから涅槃に入りうる性質が具っている。この点に目覚めれば、たとい煩悩があっても、何程か涅槃に住しうるのである。すなわち、煩悩と涅槃との共存を認めることができる。それは煩悩が七分で涅槃は三分というような量的な問題ではなくして、低い段階の涅槃が実現しているという意味である。低い涅槃から高い涅槃に向上していくということになる。