りょうげん
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良源
912年 - 985年(延喜12-永観3)滋賀県浅井郡の生れ
諡は「慈恵」、俗姓:元三大師(がんさんだいし)、角大師(つのだいし)
第18代天台座主。
藤原師輔らの摂関家の後援をうけ比叡山横川(よかわ)を整備、応和の宗論で有名。
堂舎の再建拡張、経済的基盤の確立、綱規の粛正、修学の奨励を行い、叡山中興の祖といわれる。
貴族の子弟を優遇し、山門寺門の分裂、僧兵横行の因を作った。
自筆の遺言状(国宝)があり、著書に『極楽浄土九品往生義』、弟子に源信、覚運などがいる。
- 叡山護持の執念から死後天狗道に堕して住山し、寺門の降伏を企てたと伝承されている。
了源
諱は空性。真宗仏光寺派中興の祖。第4代了海の子。22歳で法歴をつぎ、寺を京都東山汁谷(渋谷)に移して後醍醐天皇から仏光寺の号を賜り、東海地方に巡遊の途で亡くなった。(1336, 廷元元。42歳、在職21年)。諡号は光山院。