本願寺の第七世存如の息子。第八世蓮如の弟。 1457年(長禄一)存如が没して、継職にあたり蓮照(応玄)を擁立する動きもあった。叔父如乗(宣祐)の主張により異母兄の蓮如の就職が決定した。この状況に母親と共に本願寺を出た。この時、本願寺には味噌樽一つしか残らなかったという。 母親が没して後、蓮如の下に帰り、終生、兄を助けたといわれる。