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マガダ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

摩竭陀

Magadha(skt.)、 摩掲陀、摩伽陀とも音写する。

 古代インドの国名で、現在のビハール州のガヤーおよびパトナを中心とするガンジス河南方の地域。
 古代インド文化の中心地であり、仏教・ジャイナ教の発生地である。釈尊在世時代は、頻婆娑羅(Bimbasāra)王とその子の阿闍世(Ajātaśatru)王の統治下にあり、王舎城(Rājagṛha, 現在のラージギル)を都として、16大国と呼ばれる盛んな国の随一の勢力があったとされる。釈尊の教化活動の大半はこの地方で行われ、以後もこの地方は仏教文化の中心地の一つであった。
 アジャータシャトルの後継者であるウダーイバドラ(Udāyibhadra)の時に、華氏城(Pāṭaliputra)に遷都した。その後、ナンダ王朝を経て、マウリヤ王朝にいたって、ほとんど全インドを統一する大帝国となった。このマウリヤ王朝の第3代が阿育王(Aśzoka)である。
 マウリヤ王朝に続くシュンガ王朝以後は、マガダの勢力は衰え、一時はインド南部のアーンドラ王朝の支配下にも入ったが、4世紀にグプタ王朝が興って、マガダは再びインドの政治・文化の中心地となった。グプタ王朝の衰退とともに混乱状態がつづき、7世紀前半には戒日王(Harṣa)の支配下に入ったが、その後8世紀中葉にベンガルに興ったパーラ王朝の支配下に入り、那爛陀寺(Nālandā)を中心として密教が盛んとなった。
 1197年、パーラ王朝はイスラム教徒のために滅亡し、マガダは衰退した。