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+ | : 我・我所を計する 〔倶舎論19〕 | ||
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+ | 仮とは借の意味である。諸法には実体はないので、他を借りてあるから「仮」と名づけるのである。諸々の薀を借りることで衆生が存在している。棟梁を借りることで家が存在しているようなものである。<br> | ||
+ | よって、「仮」とは虚妄不実の意味である。 | ||
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+ | [[けばく|繋縛]]のこと。 |
2021年9月10日 (金) 16:09時点における版
仮
「假」の略字。prajñapti प्रज्ञप्ति, upacāra उपचार (skt.)
サンスクリットの「prajñapti」の原義は、名称を設定して対象を表示することであり、「施設」とも訳される。また設定された名称(仮名・仮説)そのものを意味する場合も多い。
「仮」や「仮説」などの訳語をもつ「upacāra」は、構成要素の集まりにすぎない自我や事物に対して比喩的に名称を適用することであり、そのような比喩的表現、あるいはその対象となる仮構存在をも意味する。
漢訳語としての「仮」もまた、名称のみあって実体のないことをさし、「仮有」「仮名有」などと同義である。
中国の考え方では、『荘子』(天道)に
仮(か)ること無きものを審(つまびら)かにし…物の真を極む
とあるように、「仮」は「真」や「実」に対立し、一般に、現象として仮(かり)にあることをいう。
悔
所造の罪を悪み悔いること。
- 悔は謂わく悪作 〔成唯識論7〕
- 悔は往くを改め、来るを修めるを名づく 〔摩訶止観7下〕
計
計度<けたく>と熟し、妄念をもって邪に道理を推し量ること。
- 我・我所を計する 〔倶舎論19〕
仮
仮とは借の意味である。諸法には実体はないので、他を借りてあるから「仮」と名づけるのである。諸々の薀を借りることで衆生が存在している。棟梁を借りることで家が存在しているようなものである。
よって、「仮」とは虚妄不実の意味である。
華
繋
繋縛のこと。