けみょう
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
仮名
これに2釈ある。
名について釈す
「名」について解釈する。諸法には、本来、名はない。人為的に仮に名を付けただけのことである。このために、すべての名(=言葉)は、虚仮不実であって実体などではない、ということ。
諸法は名なし。仮に名を興施す。かるが故に仮名と曰ふ。貧人に仮に富貴と称するが如し 〔大乗義章1〕
一切の言説は仮名にして実なし 〔大乗起信論〕
法について釈す
諸法は、因縁和合して成り立っているので、真実の体はない。これによって、みずから差別することはできない。名を仮りてわずかに差別の諸法がある。名を離れては、差別の諸法はありえない。このために、諸法を指して仮名という。
羅什曰く。縁 会して実なし。ただし空の名を仮るのみ。 〔注維摩経〕
諸法は名を仮りて而して有り。故に仮名と曰く。この義いかん。名を廃して法を論ずれば、法は幻化のごとし。有にあらず、無にあらず。また非有にあらず。また非無にあらず。一の定相のもって自らを別つことあたわず。名をもって法を呼べば、法 名に随って転じ、まさに種々あり、諸法の差別は名を仮るが故にあり。この故、諸法を説いて仮名となす。 〔大乗義章1〕