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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

vi-√ni (S)
 導く、教化する。教導ともいう。

 『正法華』には「勧助開化」とある。

vinaya (S)
 制する。

nirmāṇa (S)
 変化して出されたもの。仮の姿を現したもの。変化と同じ。

 生まれかわること。
 化仏化身応化身

 高僧が亡くなることを遷化と言い、略して「化」という。

「假」の略字。prajñapti प्रज्ञप्ति, upacāra उपचार (skt.)

 サンスクリットの「prajñapti」の原義は、名称を設定して対象を表示することであり、「施設」とも訳される。また設定された名称(仮名仮説)そのものを意味する場合も多い。
 「仮」や「仮説」などの訳語をもつ「upacāra」は、構成要素の集まりにすぎない自我や事物に対して比喩的に名称を適用することであり、そのような比喩的表現、あるいはその対象となる仮構存在をも意味する。

 漢訳語としての「仮」もまた、名称のみあって実体のないことをさし、「仮有」「仮名有」などと同義である。


 中国の考え方では、『荘子』(天道)に

仮(か)ること無きものを審(つまびら)かにし…物の真を極む

とあるように、「仮」は「真」や「実」に対立し、一般に、現象として仮(かり)にあることをいう。

 所造の罪を悪み悔いること。

 悔は謂わく悪作  〔成唯識論7〕
 悔は往くを改め、来るを修めるを名づく  〔摩訶止観7下〕

 計度<けたく>と熟し、妄念をもって邪に道理を推し量ること。

 我・我所を計する  〔倶舎論19〕

花: 華

kusuma: puṣpa (S)
 はな。はなびら。
 香を焼くこととともに花を散ずることが供養のありようの一つとされる(散花)。また花の香りが他物にその気を重じることは、くりかえし行なう行為が潜在的な心(阿頼耶識)に種子を薫じつける喩えに用いられる。華とおなじ。「苣勝のなかに花の薫習することあり」

 繋縛のこと。