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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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(三諦偈)
 
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『[[ちゅうろん|中論]]』第二十四「観四諦品」の第十八偈に
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 『中論』第24章は、サンスクリットでは「聖なる真理(聖諦)の考察」、羅什訳は「観四諦品」と名づけられ、『中論』のなかで最も長い章であり、また最も重要な章の一つである。このことは、最も有名な「'''三諦(空ー仮-中ー)偈'''」と称される第18偈がその中心に置かれ、この偈にただ一度だけ出てくる「中(道)」の語が、この書物のタイトルになっていることからも明らかである。<br>
 
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: 衆因縁生法 我説即是無
:因縁所生の法は、我れ即ち是れを空なりと説く。また、名づけて仮名と為す。また、是れ中道の義なり    〔T30, p.33b〕
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: 亦為是仮名 亦是中道義    〔T30, p.33b〕
 
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: yaḥ pratītyasamutpādaḥ śūnyatāṃ tāṃ pracaṣmahe/
と説く。ここに因縁によって成立した[[ほう|法]]は、[[くう|空]]であり、[[けみょう|仮名]]であり、これが[[ちゅうどう|中道]]の義であると説いている。この空・仮・中を[[ちぎ|智顗]]は「[[さんたい|三諦]]」と呼んだ。すべてが縁起の現われであるので「[[さんたいえんにゅう|三諦円融]]」という。
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: sā prajñaptirupādāya pratipatsaiva madhyamā// 〔503-10,11〕
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:; 縁起であるものをすべてわれわれはすなわち空であると説く。
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:; その空は相対的な仮説である。これが実に中道である。
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と説く。ここに因縁によって成立した[[ほう|法]]は、[[くう|空]]であり、[[けみょう|仮名]]であり、これが[[ちゅうどう|中道]]の義であると説いている。<br>
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 この空・仮・中を[[ちぎ|智顗]]は「[[さんたい|三諦]]」と呼んだ。すべてが縁起の現われであるので「[[さんたいえんにゅう|三諦円融]]」という。

2024年12月10日 (火) 10:30時点における最新版

三諦偈

 『中論』第24章は、サンスクリットでは「聖なる真理(聖諦)の考察」、羅什訳は「観四諦品」と名づけられ、『中論』のなかで最も長い章であり、また最も重要な章の一つである。このことは、最も有名な「三諦(空ー仮-中ー)偈」と称される第18偈がその中心に置かれ、この偈にただ一度だけ出てくる「中(道)」の語が、この書物のタイトルになっていることからも明らかである。

 衆因縁生法 我説即是無
 亦為是仮名 亦是中道義    〔T30, p.33b〕
 yaḥ pratītyasamutpādaḥ śūnyatāṃ tāṃ pracaṣmahe/
 sā prajñaptirupādāya pratipatsaiva madhyamā// 〔503-10,11〕
 縁起であるものをすべてわれわれはすなわち空であると説く。
 その空は相対的な仮説である。これが実に中道である。

と説く。ここに因縁によって成立したは、であり、仮名であり、これが中道の義であると説いている。
 この空・仮・中を智顗は「三諦」と呼んだ。すべてが縁起の現われであるので「三諦円融」という。