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(説一切有部)
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 初めて無漏如の慧が生じて四諦蝋の理(仏教の真理)を明了に見る(現観する)位を見道という。その見道に入るための準備としての、見道直前の位がこの四善根位である。<br>
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 初めて無漏如の慧が生じて四諦の理(仏教の真理)を明了に見る([[げんかん|現観]]する)位を[[けんどう|見道]]という。その見道に入るための準備としての、見道直前の位がこの'''四善根位'''である。<br>
 それ故にこの位において修める有漏の善根は、無漏の聖道([[けっちゃく|決択]])の一部分である見道をもたらす([[じゅんやく|順益]]する)はたらきがあるから、順決択分といわれる。またこの位は内凡位、四加行位ともいわれ、三賢位(外凡位)と合わせて七方便位という。どちらもに凡夫位であり、これに対して見道以後を聖者位とする。四善根位は煗位(煗法)・頂位(頂法)・忍位(忍法)・世第一法位の四位に分けられる。
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 それ故にこの位において修める有漏の善根は、無漏の聖道([[けっちゃく|決択]])の一部分である見道をもたらす([[じゅんやく|順益]]する)はたらきがあるから、[[じゅんけっちゃくぶん|順決択分]]といわれる。またこの位は内凡位、[[しけぎょうい|四加行位]]ともいわれ、[[さんげんい|三賢位]](外凡位)と合わせて七方便位という。どちらもに凡夫位であり、これに対して見道以後を聖者位とする。四善根位は[[なんい|煗位]](煗法)・[[ちょうい|頂位]](頂法)・[[にんい|忍位]](忍法)・世第一法位の4位に分けられる。
# 煗位とは、あたたかみ(煗)が火の前ぶれであるように、煩悩を焼き亡ぼす見道の無漏慧の火に近づいてその前ぶれとして有漏の善根を生ずる位であって、欲界および上二界の四諦を観じ、十六行相を修めて有漏の観慧を生ずる。この位に至ると、たとえ退いて善根を断ち、悪業を作って悪趣におちても、いつかは必ず涅槃の証に至りうるとされる。
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# 煗位とは、あたたかみ(煗)が火の前ぶれであるように、[[ぼんのう|煩悩]]を焼き亡ぼす見道の無漏慧の火に近づいてその前ぶれとして[[うろ|有漏]]の善根を生ずる位であって、欲界および上二界の四諦を観じ、十六行相を修めて有漏の観慧を生ずる。<br> この位に至ると、たとえ退いて善根を断ち、悪業を作って悪趣におちても、いつかは必ず涅槃の証に至りうるとされる。
# 頂位とは、動揺があり不安定な善根(動善根)のうちで最上の善根を生ずる絶頂の位であり、進むか退くかの境目にあり、四諦十六行相を修める。この位に至ると、たとえ退いて地獄におちても、善根を断つことはない。
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# 頂位とは、動揺があり不安定な善根(動善根)のうちで最上の善根を生ずる絶頂の位であり、進むか退くかの境目にあり、四諦十六行相を修める。<br> この位に至ると、たとえ退いて地獄におちても、善根を断つことはない。
 
# 忍位は四諦の理を明確に認め、ここまでくれば善根が定まって助かない(不動善根)位であって、悪趣に落ちることがない。このうち、下忍位では四諦十六行相を修め、中忍位では逐次に観行を省略(減縁減行)して、ついに最後に残された欲界の苦諦の一行相(観ずる人の根機の利鈍によって四行相のうちのいずれの一行相かは一定しない)を二刹那に観じ、上忍位では同じくその一行相を一刹那に観ずる。上忍位に至ると五種不生を得る。つまり生(卵生・湿生)・処(無想天・大梵王処・北倶盧洲)・身(扇<手+虒>・半択迦・二形)・有(欲界の第八有及び色界の第二生)・惑(見惑)において不生である。これに下忍位においてすでに得た趣不生、つまり悪趣に生じないことを加えて六種不生という。
 
# 忍位は四諦の理を明確に認め、ここまでくれば善根が定まって助かない(不動善根)位であって、悪趣に落ちることがない。このうち、下忍位では四諦十六行相を修め、中忍位では逐次に観行を省略(減縁減行)して、ついに最後に残された欲界の苦諦の一行相(観ずる人の根機の利鈍によって四行相のうちのいずれの一行相かは一定しない)を二刹那に観じ、上忍位では同じくその一行相を一刹那に観ずる。上忍位に至ると五種不生を得る。つまり生(卵生・湿生)・処(無想天・大梵王処・北倶盧洲)・身(扇<手+虒>・半択迦・二形)・有(欲界の第八有及び色界の第二生)・惑(見惑)において不生である。これに下忍位においてすでに得た趣不生、つまり悪趣に生じないことを加えて六種不生という。
 
# 世第一法位とは、世間即ち有漏法中の最上の善根を生じる位で、上忍法と同じ欲界の苦諦下の一行相を修め、次の刹那には見道の位に入って聖者となる。
 
# 世第一法位とは、世間即ち有漏法中の最上の善根を生じる位で、上忍法と同じ欲界の苦諦下の一行相を修め、次の刹那には見道の位に入って聖者となる。
 
 この四種の善根は見道無漏の善を生ずる根本となるから善根と称し、修慧を体とし、四静慮および未至・中間の六地を所依とする。
 
 この四種の善根は見道無漏の善を生ずる根本となるから善根と称し、修慧を体とし、四静慮および未至・中間の六地を所依とする。
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==唯識==
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 唯識宗では、実践修行の階位を五位に分けるうちの第二の加行位が、この四善根位である。この位において名・義・自性・差別の4について尋思観と如実智観とを修める。<br>
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# 煗位においては明得定を修めて認識の対象である名などの4を空無なりと尋求し思察する。それ故に煗位の行者を明得の薩埵という。
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# 頂位においては明増定を修めて、さらにいっそう勝れた観智をもって同様に観ずる。<br>以上が尋思観である。
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# 忍位において印順定
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# 世第一法位において無間定を修めて、認識の対象のみならず、そのように観ずる識そのものも空無であると明了に確認決定する。<br>
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 これが如実智観である。cf.[[しじんしかん|四尋思観]]

2025年5月7日 (水) 09:27時点における最新版

四善根位

修行階位の名

説一切有部

 初めて無漏如の慧が生じて四諦の理(仏教の真理)を明了に見る(現観する)位を見道という。その見道に入るための準備としての、見道直前の位がこの四善根位である。
 それ故にこの位において修める有漏の善根は、無漏の聖道(決択)の一部分である見道をもたらす(順益する)はたらきがあるから、順決択分といわれる。またこの位は内凡位、四加行位ともいわれ、三賢位(外凡位)と合わせて七方便位という。どちらもに凡夫位であり、これに対して見道以後を聖者位とする。四善根位は煗位(煗法)・頂位(頂法)・忍位(忍法)・世第一法位の4位に分けられる。

  1. 煗位とは、あたたかみ(煗)が火の前ぶれであるように、煩悩を焼き亡ぼす見道の無漏慧の火に近づいてその前ぶれとして有漏の善根を生ずる位であって、欲界および上二界の四諦を観じ、十六行相を修めて有漏の観慧を生ずる。
     この位に至ると、たとえ退いて善根を断ち、悪業を作って悪趣におちても、いつかは必ず涅槃の証に至りうるとされる。
  2. 頂位とは、動揺があり不安定な善根(動善根)のうちで最上の善根を生ずる絶頂の位であり、進むか退くかの境目にあり、四諦十六行相を修める。
     この位に至ると、たとえ退いて地獄におちても、善根を断つことはない。
  3. 忍位は四諦の理を明確に認め、ここまでくれば善根が定まって助かない(不動善根)位であって、悪趣に落ちることがない。このうち、下忍位では四諦十六行相を修め、中忍位では逐次に観行を省略(減縁減行)して、ついに最後に残された欲界の苦諦の一行相(観ずる人の根機の利鈍によって四行相のうちのいずれの一行相かは一定しない)を二刹那に観じ、上忍位では同じくその一行相を一刹那に観ずる。上忍位に至ると五種不生を得る。つまり生(卵生・湿生)・処(無想天・大梵王処・北倶盧洲)・身(扇<手+虒>・半択迦・二形)・有(欲界の第八有及び色界の第二生)・惑(見惑)において不生である。これに下忍位においてすでに得た趣不生、つまり悪趣に生じないことを加えて六種不生という。
  4. 世第一法位とは、世間即ち有漏法中の最上の善根を生じる位で、上忍法と同じ欲界の苦諦下の一行相を修め、次の刹那には見道の位に入って聖者となる。

 この四種の善根は見道無漏の善を生ずる根本となるから善根と称し、修慧を体とし、四静慮および未至・中間の六地を所依とする。

唯識

 唯識宗では、実践修行の階位を五位に分けるうちの第二の加行位が、この四善根位である。この位において名・義・自性・差別の4について尋思観と如実智観とを修める。

  1. 煗位においては明得定を修めて認識の対象である名などの4を空無なりと尋求し思察する。それ故に煗位の行者を明得の薩埵という。
  2. 頂位においては明増定を修めて、さらにいっそう勝れた観智をもって同様に観ずる。
    以上が尋思観である。
  3. 忍位において印順定
  4. 世第一法位において無間定を修めて、認識の対象のみならず、そのように観ずる識そのものも空無であると明了に確認決定する。

 これが如実智観である。cf.四尋思観