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二巻。唐の[[どうしゃく|道綽]]([[562年]]-[[645年]])著。十二章。 | 二巻。唐の[[どうしゃく|道綽]]([[562年]]-[[645年]])著。十二章。 | ||
− | + | 道綽は[[ねはんぎょう|涅槃経]]の学者であったが、のちに浄土門に転じた。生涯に[[かんむりょうじゅきょう|観無量寿経]]を2百回以上講義したという。<br> | |
+ | 本書は同経を解釈したもので、仏教を[[しょうどうもん|聖道門]]と[[じょうどもん|浄土門]]に区別した最初の書である。大きく12門(十二大門)からなり、問答形式で[[あんらっこく|安楽国]]すなわち[[ごくらく|極楽]][[じょうど|浄土]]に関する諸問題を解明し、特に[[どんらん|曇鸞]]の浄土教を受けついで、それを末法に即応した教えとした。<br> | ||
+ | これがさらに弟子の[[ぜんどう|善導]]に受けつがれて大成された。曇鸞の[[おうじょうろんちゅう|往生論註]]、善導の[[かんむりょうじゅきょうしょ|観無量寿経疏]]とともに、日本における[[ほうねん|法然]]・[[しんらん|親鸞]]の基盤となった。<br> | ||
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2004年4月8日 (木) 09:15時点における版
安楽集
道綽は涅槃経の学者であったが、のちに浄土門に転じた。生涯に観無量寿経を2百回以上講義したという。
本書は同経を解釈したもので、仏教を聖道門と浄土門に区別した最初の書である。大きく12門(十二大門)からなり、問答形式で安楽国すなわち極楽浄土に関する諸問題を解明し、特に曇鸞の浄土教を受けついで、それを末法に即応した教えとした。
これがさらに弟子の善導に受けつがれて大成された。曇鸞の往生論註、善導の観無量寿経疏とともに、日本における法然・親鸞の基盤となった。
浄土真宗の七高僧の著作集の内の七祖聖教の一つ。