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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
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「假」の略字。prajJapti प्रज्ञप्ति, upacaara उपचार (skt.)
 
「假」の略字。prajJapti प्रज्ञप्ति, upacaara उपचार (skt.)
  
 サンスクリットの「prajJapti」の原義は、名称を設定して対象を表示することであり、「施設(せせつ)」とも訳される。また設定された名称(仮名(けみょう)・仮説(けせつ))そのものを意味する場合も多い。<br>
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 サンスクリットの「prajJapti」の原義は、名称を設定して対象を表示することであり、「[[せせつ|施設]]」とも訳される。また設定された名称([[けみょう|仮名]]・[[けせつ|仮説]])そのものを意味する場合も多い。<br>
 
 「仮」や「仮説」などの訳語をもつ「upacaara」は、構成要素の集まりにすぎない自我や事物に対して比喩的に名称を適用することであり、そのような比喩的表現、あるいはその対象となる仮構存在をも意味する。
 
 「仮」や「仮説」などの訳語をもつ「upacaara」は、構成要素の集まりにすぎない自我や事物に対して比喩的に名称を適用することであり、そのような比喩的表現、あるいはその対象となる仮構存在をも意味する。
  
 漢訳語としての「仮」もまた、名称のみあって実体のないことをさし、「仮有(けう)」「仮名有(けみようう)」などと同義である。
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 漢訳語としての「仮」もまた、名称のみあって実体のないことをさし、「[[けう|仮有]]」「[[けみょうう|仮名有]]」などと同義である。
  
 
 中国の考え方では、『荘子』(天道)に「仮(か)ること無きものを審(つまびら)かにし…物の真を極む」とあるように、「仮」は「真」や「実」に対立し、一般に、現象として仮(かり)にあることをいう。
 
 中国の考え方では、『荘子』(天道)に「仮(か)ること無きものを審(つまびら)かにし…物の真を極む」とあるように、「仮」は「真」や「実」に対立し、一般に、現象として仮(かり)にあることをいう。

2006年5月20日 (土) 17:35時点における版

「假」の略字。prajJapti प्रज्ञप्ति, upacaara उपचार (skt.)

 サンスクリットの「prajJapti」の原義は、名称を設定して対象を表示することであり、「施設」とも訳される。また設定された名称(仮名仮説)そのものを意味する場合も多い。
 「仮」や「仮説」などの訳語をもつ「upacaara」は、構成要素の集まりにすぎない自我や事物に対して比喩的に名称を適用することであり、そのような比喩的表現、あるいはその対象となる仮構存在をも意味する。

 漢訳語としての「仮」もまた、名称のみあって実体のないことをさし、「仮有」「仮名有」などと同義である。

 中国の考え方では、『荘子』(天道)に「仮(か)ること無きものを審(つまびら)かにし…物の真を極む」とあるように、「仮」は「真」や「実」に対立し、一般に、現象として仮(かり)にあることをいう。