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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
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[[1314年]]([[しょうわ|正和]]3) 嫡男[[ぞんかく|存覚]]に留守職を譲る。
 
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* [[ぼきえことば|慕帰絵詞]]
 
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* [[さいしゅきょうちょうえことば|最須敬重絵詞]]
 
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* [[ほうおんこうしき|報恩講式]]
 
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* [[しんらんでんね|親鸞伝絵]]
 
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2006年6月11日 (日) 17:12時点における版

覚如

かくにょ、1270年(文永7)-1351年(観応2)

1286年(弘安9) 得度。 1302年(正安4) 父覚恵から大谷廟堂の留守職を譲られる。 1310年(延慶3) 留守職に就任。 1311年(応長元)以降、越前諸国で布教。 1314年(正和3) 嫡男存覚に留守職を譲る。

伝記

著書