操作

「ゆいまきょう」の版間の差分

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

1行目: 1行目:
'''維摩経''' (ゆいまぎょう、ビマラキールティ・ニルデーシャ・スートラ、vimalakiirti-nirdeza-suutra、विमलकीर्ति निर्देश सूत्र )
+
=維摩経=
 +
(ゆいまぎょう、ビマラキールティ・ニルデーシャ・スートラ、vimalakiirti-nirdeza-suutra、विमलकीर्ति निर्देश सूत्र )
  
 
[[だいじょうぶっきょう|大乗仏教]][[きょうてん|経典]]の一つで、[[サンスクリット]]原典は失われ、[[チベット]]語訳と3種の漢訳([[しけん|支謙]]訳、[[くまらじゅう|鳩摩羅什]]訳、[[げんじょう|玄奘]]訳)が現存する。一般に用いられるのは鳩摩羅什訳『''維摩詰所説経'' 』(ゆいまきつしょせつきょう)である。
 
[[だいじょうぶっきょう|大乗仏教]][[きょうてん|経典]]の一つで、[[サンスクリット]]原典は失われ、[[チベット]]語訳と3種の漢訳([[しけん|支謙]]訳、[[くまらじゅう|鳩摩羅什]]訳、[[げんじょう|玄奘]]訳)が現存する。一般に用いられるのは鳩摩羅什訳『''維摩詰所説経'' 』(ゆいまきつしょせつきょう)である。
  
 
中インド、バイシャーリーの長者ビマラキールティ(維摩詰、維摩)の病気を菩薩や仏弟子たちが見舞うが、みな維摩にやりこめられる。文殊菩薩のみが維摩と対等に問答をし、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示す。全編戯曲的な構成のなかに旧来の仏教の固定性を批判し、在家者の立場から大乗の空の思想を高揚した初期大乗仏典の傑作である。中国、日本で広く親しまれ、聖徳太子の[[さんぎょうぎしょ|三経義疏]]の一つ『''維摩経義疏'' 』をはじめ、注釈も多い。
 
中インド、バイシャーリーの長者ビマラキールティ(維摩詰、維摩)の病気を菩薩や仏弟子たちが見舞うが、みな維摩にやりこめられる。文殊菩薩のみが維摩と対等に問答をし、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示す。全編戯曲的な構成のなかに旧来の仏教の固定性を批判し、在家者の立場から大乗の空の思想を高揚した初期大乗仏典の傑作である。中国、日本で広く親しまれ、聖徳太子の[[さんぎょうぎしょ|三経義疏]]の一つ『''維摩経義疏'' 』をはじめ、注釈も多い。

2006年12月29日 (金) 13:03時点における版

維摩経

(ゆいまぎょう、ビマラキールティ・ニルデーシャ・スートラ、vimalakiirti-nirdeza-suutra、विमलकीर्ति निर्देश सूत्र )

大乗仏教経典の一つで、サンスクリット原典は失われ、チベット語訳と3種の漢訳(支謙訳、鳩摩羅什訳、玄奘訳)が現存する。一般に用いられるのは鳩摩羅什訳『維摩詰所説経 』(ゆいまきつしょせつきょう)である。

中インド、バイシャーリーの長者ビマラキールティ(維摩詰、維摩)の病気を菩薩や仏弟子たちが見舞うが、みな維摩にやりこめられる。文殊菩薩のみが維摩と対等に問答をし、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示す。全編戯曲的な構成のなかに旧来の仏教の固定性を批判し、在家者の立場から大乗の空の思想を高揚した初期大乗仏典の傑作である。中国、日本で広く親しまれ、聖徳太子の三経義疏の一つ『維摩経義疏 』をはじめ、注釈も多い。