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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
 
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 漢の高祖によって「長(とわ)に安かれ」との願いをこめてこの地に都が置かれた。以後、前趙・前秦・後秦・西魏・北周・隋・唐の都となった。
 
 漢の高祖によって「長(とわ)に安かれ」との願いをこめてこの地に都が置かれた。以後、前趙・前秦・後秦・西魏・北周・隋・唐の都となった。
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 [[シルクロード]]の東端に位置する長安は、西方から伝えられる仏教の一大中心であり、後秦(384-417)代の逍遥園における[[くまらじゅう|鳩摩羅什]]の訳経、唐代の弘福寺と慈恩寺における[[げんじょう|玄奘]]の訳経が行われた。[[くやく|旧訳]]・[[しんやく|新訳]]の訳経事業はともに、この地で行われた。
 
 [[シルクロード]]の東端に位置する長安は、西方から伝えられる仏教の一大中心であり、後秦(384-417)代の逍遥園における[[くまらじゅう|鳩摩羅什]]の訳経、唐代の弘福寺と慈恩寺における[[げんじょう|玄奘]]の訳経が行われた。[[くやく|旧訳]]・[[しんやく|新訳]]の訳経事業はともに、この地で行われた。
  
 
 唐の武宗の廃仏の際、ここにいた[[えんにん|円仁]]は、長安城内の仏堂300余ヶ所が破壊されたと[[にっとうぐぼうじゅんれいき|入唐求法巡礼行記]]に記録している。
 
 唐の武宗の廃仏の際、ここにいた[[えんにん|円仁]]は、長安城内の仏堂300余ヶ所が破壊されたと[[にっとうぐぼうじゅんれいき|入唐求法巡礼行記]]に記録している。

2007年10月8日 (月) 08:09時点における最新版

長安

現在:陝西省(せんせいしょう)西安市

 漢の高祖によって「長(とわ)に安かれ」との願いをこめてこの地に都が置かれた。以後、前趙・前秦・後秦・西魏・北周・隋・唐の都となった。

地図[1]

 シルクロードの東端に位置する長安は、西方から伝えられる仏教の一大中心であり、後秦(384-417)代の逍遥園における鳩摩羅什の訳経、唐代の弘福寺と慈恩寺における玄奘の訳経が行われた。旧訳新訳の訳経事業はともに、この地で行われた。

 唐の武宗の廃仏の際、ここにいた円仁は、長安城内の仏堂300余ヶ所が破壊されたと入唐求法巡礼行記に記録している。