「あいいくおう」の版間の差分
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
4行目: | 4行目: | ||
インドの南端を除いて、集権的統一国家を建設した。<br> | インドの南端を除いて、集権的統一国家を建設した。<br> | ||
仏教のダルマ(法)に基づく統治を理想とし、その詔勅を各地の磨崖や石柱に刻んだ([[アショーカおうせきちゅう|アショーカ王石柱]])。第3回の仏典[[けつじゅう|結集]]を行い、仏教の保護と伝道に努めた。<br> | 仏教のダルマ(法)に基づく統治を理想とし、その詔勅を各地の磨崖や石柱に刻んだ([[アショーカおうせきちゅう|アショーカ王石柱]])。第3回の仏典[[けつじゅう|結集]]を行い、仏教の保護と伝道に努めた。<br> | ||
− | + | このとき[[スリランカ]]に仏教が伝わった。<br> | |
慈善・社会事業を盛んにし、その政治思想は後世に大きな影響を与えた。 | 慈善・社会事業を盛んにし、その政治思想は後世に大きな影響を与えた。 |
2008年9月24日 (水) 09:36時点における版
愛育王
アショーカ。インド、マウリヤ朝第3代の王(在位、前268年ころ―前232年ころ、異説あり)。
インドの南端を除いて、集権的統一国家を建設した。
仏教のダルマ(法)に基づく統治を理想とし、その詔勅を各地の磨崖や石柱に刻んだ(アショーカ王石柱)。第3回の仏典結集を行い、仏教の保護と伝道に努めた。
このときスリランカに仏教が伝わった。
慈善・社会事業を盛んにし、その政治思想は後世に大きな影響を与えた。