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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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(訶梨跋摩)
 
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Harivarman (skt.) 「獅子鎧」「師子鎧」と漢訳される。生没年未詳。
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Harivarman (skt.) 「獅子鎧」「師子鎧」と漢訳される。4世紀ごろの人。
  
 仏滅後900年頃のインドの僧の名。諸部派の仏教に続き大乗を学び、[[じょうじつろん|成実論]]を著したとされる。
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 中インドの婆羅門の出身。最初は[[すろん|数論]]派に属していたが、仏教に入り、[[せついっさいうぶ|説一切有部]]の学匠[[鳩摩羅駄]](kumaaralabdha)から『[[ほっちろん|発智論]]』を学び、次いで[[まかそうぎ|摩訶僧祇部]]に移って[[だいじょう|大乗]]も研究し、『[[じょうじつろん|成実論]]』202品を著した。後、マガダ国王の命により[[げどう|外道]]の諸論師をことごとく論破して、国師に任ぜられた。
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 なお、'''成実論'''が漢訳されたのは、西暦412年のことである。

2010年9月24日 (金) 11:23時点における最新版

訶梨跋摩

Harivarman (skt.) 「獅子鎧」「師子鎧」と漢訳される。4世紀ごろの人。

 中インドの婆羅門の出身。最初は数論派に属していたが、仏教に入り、説一切有部の学匠鳩摩羅駄(kumaaralabdha)から『発智論』を学び、次いで摩訶僧祇部に移って大乗も研究し、『成実論』202品を著した。後、マガダ国王の命により外道の諸論師をことごとく論破して、国師に任ぜられた。

 なお、成実論が漢訳されたのは、西暦412年のことである。