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+ | [[ゆがぎょうは|瑜伽行派]]の説では、市要門の修行の完成者である[[あらかん|阿羅漢]]は、煩悩は滅しているが、所智に関してはまだ不完全であり、「不染汚の(つまり煩悩に汚されていない)無智」が潜在的に残っているとする。この二障を共に完全に克服しているのは菩薩以上である。しかし、仏の智慧をもってみれば、煩悩も所智の法もすべて無実体(空)で清浄である。 |
2014年2月14日 (金) 13:12時点における版
慈円
1155(久寿2)-1225(嘉禄1)
鎌倉時代前期の僧。諡(おくりな)は慈鎮。吉水僧正と呼ばれる。関白藤原忠通の子、兄は九条家の祖兼実。保元の乱の前年に生れ、1192年(建久3)38歳で天台座主となり、九条家の浮沈に応じて4度座主となる。歌人としても後鳥羽上皇に認められ、源頼朝とも交わった。勧学講などにより叡山に習学の風を興し、新興法然の浄土教を批判した。『新古今和歌集』に多く入集し、歌集『拾玉集』、わが国初の史論書『愚管抄』などの著作がある。
爾炎
jJeya (skt)
「ジュネーヤ」の音写語であり、「所知」と意訳される。知られるべきもの、認識の対象をいう。
「煩悩」と並べられるときは、一般に「煩悩障・所知障」の二障を挙げる場合に、さとりをさまたげるものの二種としてあげられる。
瑜伽行派の説では、市要門の修行の完成者である阿羅漢は、煩悩は滅しているが、所智に関してはまだ不完全であり、「不染汚の(つまり煩悩に汚されていない)無智」が潜在的に残っているとする。この二障を共に完全に克服しているのは菩薩以上である。しかし、仏の智慧をもってみれば、煩悩も所智の法もすべて無実体(空)で清浄である。