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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(阿弥陀)
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あみだ、amitaabha अमताभ、amitaayus अमतायुस् (skt.)
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あみだ、Amitābha अमताभ、Amitāyus अमतायुस् (skt.)
  
'''阿弥陀仏'''・'''阿弥陀如来'''などともいい、[[だいじょうぶっきょう|大乗仏教]]の[[ぶつ|仏]]のひとり。「アミターユス(amitaayus)/アミターバ(amitaabha)」を訳して、'''無量寿仏'''/'''無量光仏'''と呼ばれ、無明の現世をあまねく照らす光の仏とされる。極楽浄土という仏国土を持つ。
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 '''阿弥陀仏'''・'''阿弥陀如来'''などともいい、[[だいじょうぶっきょう|大乗仏教]]の[[ぶつ|仏]]のひとり。「アミターユス(Amitāyus)/アミターバ(Amitābha)」を訳して、'''無量寿仏'''/'''無量光仏'''と呼ばれ、無明の現世をあまねく照らす光の仏とされる。極楽浄土という仏国土を持つ。
:時代的には、'''無量寿仏'''が先行していると考えられる。'''無量光仏'''は密教的概念が出てきてからと考えられる。
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:時代的には、'''無量寿仏'''が先行していると考えられる。'''無量光仏'''は密教的概念が出てきてからと考えられている。
  
法蔵菩薩が五劫の間、衆生の救済を思惟し、浄土への往生のてだてを見出したことにより仏となった報身仏。衆生救済に関して48の願い([[しじゅうはちがん|四十八願]])を立て、特に浄土教において[[だいじゅうはちがん|第十八願]]を「[[ほんがん|本願]]」と呼んで重要視する。
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 法蔵菩薩が五劫の間、衆生の救済を思惟し、浄土への往生のてだてを見出したことにより仏となった報身仏。衆生救済に関して48の願い([[しじゅうはちがん|四十八願]])を立て、特に浄土教において[[だいじゅうはちがん|第十八願]]を「[[ほんがん|本願]]」と呼んで重要視する。
  
[[どんらん|曇鸞]]は、'''阿弥陀仏'''を法性法身と方便法身の2種法身として説明する。
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 [[どんらん|曇鸞]]は、'''阿弥陀仏'''を法性法身と方便法身の2種法身として説明する。
 
# 法性法身 さとりそのものである法性真如を本身とする。<br>「いろもなし、かたちもましまさず。しかればこころもおよばれず、ことばもたえたり」''唯信鈔文意''
 
# 法性法身 さとりそのものである法性真如を本身とする。<br>「いろもなし、かたちもましまさず。しかればこころもおよばれず、ことばもたえたり」''唯信鈔文意''
 
# 方便法身 大悲の本願をもって衆生を救済する仏を方便法身という<br>「この[[いちにょ|一如]](法性法身)よりかたちをあらはして、方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘と名のりたまひて」''唯信鈔文意''
 
# 方便法身 大悲の本願をもって衆生を救済する仏を方便法身という<br>「この[[いちにょ|一如]](法性法身)よりかたちをあらはして、方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘と名のりたまひて」''唯信鈔文意''
  
[[ぜんどう|善導]]は、「'''阿弥陀仏'''は念仏の衆生を救うことができなければ仏になるまいと誓い、永劫の修行によってその願いを成就して成られた仏であるから、願行に報いた'''報身仏'''である」といわれた。聖道諸師の中に「阿弥陀仏を応化身」とみる説を否定し、「念仏の衆生は、仏の本願力に乗じて必ず報仏の土(報土)へ往生できる」と強調した。
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 [[ぜんどう|善導]]は、「'''阿弥陀仏'''は念仏の衆生を救うことができなければ仏になるまいと誓い、永劫の修行によってその願いを成就して成られた仏であるから、願行に報いた'''報身仏'''である」といわれた。聖道諸師の中に「阿弥陀仏を応化身」とみる説を否定し、「念仏の衆生は、仏の本願力に乗じて必ず報仏の土(報土)へ往生できる」と強調した。
  
これを語源とする[[たりきほんがん|他力本願]]と云う言葉は、本来の宗教的な意味合いを誤解されたまま一般化して、「ムシのいい、他人への依存」という意味で定着してしまっているのが現状である。
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 これを語源とする[[たりきほんがん|他力本願]]と云う言葉は、本来の宗教的な意味合いを誤解されたまま一般化して、「ムシのいい、他人への依存」という意味で定着してしまっているのが現状である。

2017年4月14日 (金) 09:23時点における版

阿弥陀

あみだ、Amitābha अमताभ、Amitāyus अमतायुस् (skt.)

 阿弥陀仏阿弥陀如来などともいい、大乗仏教のひとり。「アミターユス(Amitāyus)/アミターバ(Amitābha)」を訳して、無量寿仏/無量光仏と呼ばれ、無明の現世をあまねく照らす光の仏とされる。極楽浄土という仏国土を持つ。

時代的には、無量寿仏が先行していると考えられる。無量光仏は密教的概念が出てきてからと考えられている。

 法蔵菩薩が五劫の間、衆生の救済を思惟し、浄土への往生のてだてを見出したことにより仏となった報身仏。衆生救済に関して48の願い(四十八願)を立て、特に浄土教において第十八願を「本願」と呼んで重要視する。

 曇鸞は、阿弥陀仏を法性法身と方便法身の2種法身として説明する。

  1. 法性法身 さとりそのものである法性真如を本身とする。
    「いろもなし、かたちもましまさず。しかればこころもおよばれず、ことばもたえたり」唯信鈔文意
  2. 方便法身 大悲の本願をもって衆生を救済する仏を方便法身という
    「この一如(法性法身)よりかたちをあらはして、方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘と名のりたまひて」唯信鈔文意

 善導は、「阿弥陀仏は念仏の衆生を救うことができなければ仏になるまいと誓い、永劫の修行によってその願いを成就して成られた仏であるから、願行に報いた報身仏である」といわれた。聖道諸師の中に「阿弥陀仏を応化身」とみる説を否定し、「念仏の衆生は、仏の本願力に乗じて必ず報仏の土(報土)へ往生できる」と強調した。

 これを語源とする他力本願と云う言葉は、本来の宗教的な意味合いを誤解されたまま一般化して、「ムシのいい、他人への依存」という意味で定着してしまっているのが現状である。