操作

「けんち」の版間の差分

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(顕智)
 
1行目: 1行目:
 
=顕智=
 
=顕智=
[[1226年]]-[[1310年]]
+
〈1226 - 1310年〉
  
親鸞面授の弟子。専修寺第三代。<br>
+
 [[しんらん|親鸞]]面授の弟子。専修寺第三代。<br>
親鸞が関東から帰洛した後は、たびたび下野(栃木県)と京都を往復して聞法した。『自然法爾章』をはじめ、著述や経釈文を多く書写している。聖人の臨終にもあい、大谷廟堂の造営維持に力を尽した。
+
 下野国高田(現在の栃木県真岡市高田)の[[しんぶつ|真仏]]門下で、その女婿といわれている。常陸国(現在の茨城県)の豪族真壁氏の出身という。親鸞が関東から帰洛した後は、たびたび下野国と京都を往復して聞法を怠らなかった。「自然法爾章」など親鸞の著述や経釈文を多く書写している。<br>
 +
 また、真仏らとともに三河国(現在の愛知県東部)も教化した。親鸞の臨終にあい、初期真宗の重鎮として大谷廟堂の造営維持に尽力するとともに、のちの高田派の基礎を固めた。
 +
 
 +
===著書===
 +
* 聞書
 +
* 見聞
 +
* 抄出
 +
 いずれも[[たかだは|高田派]][[せんじゅじ|専修寺]]蔵

2017年4月16日 (日) 17:21時点における最新版

顕智

〈1226 - 1310年〉

 親鸞面授の弟子。専修寺第三代。
 下野国高田(現在の栃木県真岡市高田)の真仏門下で、その女婿といわれている。常陸国(現在の茨城県)の豪族真壁氏の出身という。親鸞が関東から帰洛した後は、たびたび下野国と京都を往復して聞法を怠らなかった。「自然法爾章」など親鸞の著述や経釈文を多く書写している。
 また、真仏らとともに三河国(現在の愛知県東部)も教化した。親鸞の臨終にあい、初期真宗の重鎮として大谷廟堂の造営維持に尽力するとともに、のちの高田派の基礎を固めた。

著書

  • 聞書
  • 見聞
  • 抄出

 いずれも高田派専修寺