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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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 『[[だいぼんはんにゃきょう|大品般若経]]』「問乗品」(T8-250b)に説かれた[[じゅうはちくう|十八空]]の中の最初の空。[[ろくにゅう|六入]](六種の感覚器官)が[[くう|空]]であること。
 
 『[[だいぼんはんにゃきょう|大品般若経]]』「問乗品」(T8-250b)に説かれた[[じゅうはちくう|十八空]]の中の最初の空。[[ろくにゅう|六入]](六種の感覚器官)が[[くう|空]]であること。
  
:内空は内法なり、内法空なり。内法とは、いわゆる六入、眼・耳・鼻・舌・身・意の内なり。眼空は我なく我所なく眼の法なし。耳・鼻・舌・身・意もまたかくのごとし    〔[[だいちどろん|大智度論]]巻31 T25-285b〕
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: 内空は内法なり、内法空なり。内法とは、いわゆる六入、眼・耳・鼻・舌・身・意の内なり。眼空は我なく我所なく眼の法なし。耳・鼻・舌・身・意もまたかくのごとし    〔[[だいちどろん|大智度論]]巻31 T25-285b〕

2020年5月17日 (日) 16:34時点における最新版

内空

 『大品般若経』「問乗品」(T8-250b)に説かれた十八空の中の最初の空。六入(六種の感覚器官)がであること。

 内空は内法なり、内法空なり。内法とは、いわゆる六入、眼・耳・鼻・舌・身・意の内なり。眼空は我なく我所なく眼の法なし。耳・鼻・舌・身・意もまたかくのごとし    〔大智度論巻31 T25-285b〕