操作

「じつにょ」の版間の差分

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
 
(同じ利用者による、間の1版が非表示)
1行目: 1行目:
==実如==
+
=実如=
 
1458年(長禄2)-1525年(大永5)
 
1458年(長禄2)-1525年(大永5)
  
[[ほんがんじ|本願寺]]8世[[れんにょ|蓮如]]の五男。長兄[[じゅんにょ|順如]]の死後、法嗣となり、1489年(延徳1)本願寺9世となる。<br>
+
[[ほんがんじ|本願寺]]8世[[れんにょ|蓮如]]の五男。長兄順如(じゅんにょ)の死後、法嗣となり、1489年(延徳1)本願寺9世となる。<br>
 
当時は蓮如の教化により本願寺教団の勢力が飛躍的に発展した時代で、[[いっこういっき|一向一揆]]も各地に頻発した。実如は一揆の動きを抑制することに腐心し、北陸門徒に3か条の掟を発して戦乱に介入することを戒めた。また、本願寺一族を一門衆・一家衆に分ける一門一家の制を定め、教団の護持につとめた。
 
当時は蓮如の教化により本願寺教団の勢力が飛躍的に発展した時代で、[[いっこういっき|一向一揆]]も各地に頻発した。実如は一揆の動きを抑制することに腐心し、北陸門徒に3か条の掟を発して戦乱に介入することを戒めた。また、本願寺一族を一門衆・一家衆に分ける一門一家の制を定め、教団の護持につとめた。

2006年6月12日 (月) 10:53時点における最新版

実如

1458年(長禄2)-1525年(大永5)

本願寺8世蓮如の五男。長兄順如(じゅんにょ)の死後、法嗣となり、1489年(延徳1)本願寺9世となる。
当時は蓮如の教化により本願寺教団の勢力が飛躍的に発展した時代で、一向一揆も各地に頻発した。実如は一揆の動きを抑制することに腐心し、北陸門徒に3か条の掟を発して戦乱に介入することを戒めた。また、本願寺一族を一門衆・一家衆に分ける一門一家の制を定め、教団の護持につとめた。