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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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『一枚起請』『一枚消息』『御誓言の書』などともいう。1212年(建暦2)1月23日、臨終の床にあった[[ほうねん|法然]]が、[[じょうど|浄土]][[おうじょう|往生]]の要義を簡潔に1枚の紙に記して[[せいかんぼう|勢観房]][[げんち|源智]]に与えたもの。<br>
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[[かんねん|観念]]の[[ねんぶつ|念仏]]に対して[[しょうみょう|称名]]念仏が強調され、「智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし」という。<br>
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真蹟と伝えるものが[[こんかいこうみょうじ|金戒光明寺]]に存する。法然の浄土念仏の要旨が凝縮されたものとして古来珍重され、多くの注釈書が出された。
  
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==原文==
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'''一枚起請文'''            源空述<br>
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 もろこし・わが朝に、もろもろの智者達の沙汰しまうさるる観念の念にもあらず。また、学文をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず。ただ往生極楽のためには南無阿弥陀仏と申して、疑なく往生するぞと思ひとりて申すほかには別の子細候はず。ただし三心・四修と申すことの候ふは、みな決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ふうちに篭り候ふなり。このほかにおくふかきことを存ぜば、二尊のあはれみにはづれ、本願にもれ候ふべし。念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらにおなじくして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし。<br>
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 為証以両手印<br>
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浄土宗の安心・起行、この一紙に至極せり。源空が所存、このほかにまつたく別義を存ぜず。滅後の邪義をふせがんがために、所存を記しをはりぬ。<br>  建暦二年正月二十三日        源空(花押)

2005年2月18日 (金) 10:35時点における版

一枚起請文

『一枚起請』『一枚消息』『御誓言の書』などともいう。1212年(建暦2)1月23日、臨終の床にあった法然が、浄土往生の要義を簡潔に1枚の紙に記して勢観房源智に与えたもの。
観念念仏に対して称名念仏が強調され、「智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし」という。
真蹟と伝えるものが金戒光明寺に存する。法然の浄土念仏の要旨が凝縮されたものとして古来珍重され、多くの注釈書が出された。


原文

一枚起請文            源空述
 もろこし・わが朝に、もろもろの智者達の沙汰しまうさるる観念の念にもあらず。また、学文をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず。ただ往生極楽のためには南無阿弥陀仏と申して、疑なく往生するぞと思ひとりて申すほかには別の子細候はず。ただし三心・四修と申すことの候ふは、みな決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ふうちに篭り候ふなり。このほかにおくふかきことを存ぜば、二尊のあはれみにはづれ、本願にもれ候ふべし。念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらにおなじくして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし。
 為証以両手印
浄土宗の安心・起行、この一紙に至極せり。源空が所存、このほかにまつたく別義を存ぜず。滅後の邪義をふせがんがために、所存を記しをはりぬ。
  建暦二年正月二十三日        源空(花押)