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鑑真
688-763(天平宝字7)、「鑒眞」とも書く。「かんじん」と読むこともある。
日本における律宗の祖。中国揚州江陽県に生まれる。
律・天台を学び、律を講じて有名であった。日本の入唐僧。栄叡・普照の律僧招請に応じて、渡海を試みるが、5階の失敗のあと、6度目、754年(天平勝宝6)に日本に入った。
日本では、授戒伝律をまかされ、東大寺に戒壇院を建てて授戒の根本道場とした。また伝律の道場として唐招提寺を設けて戒律の教導に尽した。
鑑真の将来品は律典籍のほかにも多く、天台関係のものは最澄に影響し、その他医薬・書道などにも影響した点は大きい。
座像 鑑真和上像@唐招提寺 [1]
伝記