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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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 中インド、ボ一パールの辺のビールサー付近にある丘陵地で、大塔1基と付属の小塔2基があるので有名。直径36m、高さ16.5mの覆鉢型大塔は、アショ一力王時代の煉瓦造の塔を、紀元前2世紀頃に増広したもの。大塔の東北45mの場所に、[[しゃりほつ|舎利弗]]と[[もくれん|目連]]の遺骨を納めた塔が完全な姿を示しており、紀元前2世紀と推定されている。
 
 中インド、ボ一パールの辺のビールサー付近にある丘陵地で、大塔1基と付属の小塔2基があるので有名。直径36m、高さ16.5mの覆鉢型大塔は、アショ一力王時代の煉瓦造の塔を、紀元前2世紀頃に増広したもの。大塔の東北45mの場所に、[[しゃりほつ|舎利弗]]と[[もくれん|目連]]の遺骨を納めた塔が完全な姿を示しており、紀元前2世紀と推定されている。

2024年9月2日 (月) 15:50時点における最新版

サーンチー

Sāñchī (S)
 中インド、ボ一パールの辺のビールサー付近にある丘陵地で、大塔1基と付属の小塔2基があるので有名。直径36m、高さ16.5mの覆鉢型大塔は、アショ一力王時代の煉瓦造の塔を、紀元前2世紀頃に増広したもの。大塔の東北45mの場所に、舎利弗目連の遺骨を納めた塔が完全な姿を示しており、紀元前2世紀と推定されている。