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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
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==往生要集==
 
==往生要集==
三巻(本末6帖)。永観2年([[984年]])11月書き始め、翌年寛和元年([[985年]])4月完成。著者:[[えしんそうず|恵心僧都]][[げんしん|源信]]
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3巻(本末6帖)。永観2年(984年)11月書き始め、翌年寛和元年(985年)4月完成。著者:[[えしんそうず|恵心僧都]][[げんしん|源信]]
  
日本の平安時代中期の浄土教典籍の代表作であり、[[おうじょう|往生]][[ごくらく|極楽]]に関する経論の要文を集め、(1)厭離穢土(おんりえど)、(2)欣求浄土(ごんぐじょうど)、(3)極楽証拠、(4)正修念仏、(5)助念方法、(6)別時念仏、(7)念仏利益、(8)念仏証拠、(9)往生諸業、(10)問答料簡の十大門に分けて論じている。<br>
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 日本の平安時代中期の浄土教典籍の代表作であり、[[おうじょう|往生]][[ごくらく|極楽]]に関する経論の要文を集め、(1)厭離穢土(おんりえど)、(2)欣求浄土(ごんぐじょうど)、(3)極楽証拠、(4)正修念仏、(5)助念方法、(6)別時念仏、(7)念仏利益、(8)念仏証拠、(9)往生諸業、(10)問答料簡の十大門に分けて論じている。<br>
流転(るてん)輪廻(りんね)の六道の迷いを捨てて、阿弥陀仏の極楽浄土に生れることを勧め、浄土に生れるには何がもっとも大切であるかを明らかにした、画期的な意義をになった体系的組織的な論書である。十門の分類は整然としていて、きわめて懇切丁寧に説かれている。本書の中心は念仏にあって、「往生の業は念仏を本と為す」という表現はそれを端的に物語る。ただ念仏には仏の姿を観想する念仏とその名を称える念仏との2を立てて観想に優位を与え、また平生(へいぜい)の念仏と共に臨終の念仏を重視し、臨終の行儀を強調した。<br>
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 流転(るてん)輪廻(りんね)の六道の迷いを捨てて、阿弥陀仏の極楽浄土に生れることを勧め、浄土に生れるには何がもっとも大切であるかを明らかにした、画期的な意義をになった体系的組織的な論書である。十門の分類は整然としていて、きわめて懇切丁寧に説かれている。本書の中心は念仏にあって、「'''往生の業は念仏を本と為す'''」という表現はそれを端的に物語る。ただ念仏には仏の姿を観想する念仏とその名を称える念仏との2を立てて観想に優位を与え、また平生(へいぜい)の念仏と共に臨終の念仏を重視し、臨終の行儀を強調した。
この書は、完成後中国に送られて、これを遣宋本というが、初稿本とは多少の差異がある。また、中国でも高く評価され、経蔵に入れると必ずこの本が論書の棚から経典の段に移ることから、この書は経ではないかとし、著者の源信を「日本小釈迦源信如来」と呼んだと言う伝説がある。<br>
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 この書は、完成後中国に送られて、これを遣宋本というが、初稿本とは多少の差異がある。また、中国でも高く評価され、経蔵に入れると必ずこの本が論書の棚から経典の段に移ることから、この書は経ではないかとし、著者の源信を「日本小釈迦源信如来」と呼んだと言う伝説がある。<br>
  
 
===文学・美術への影響===
 
===文学・美術への影響===
本書は当時から広く読まれ、これを指南とした念仏結社を生じたことにも知られるように、後代まで大きな影響を及ぼした。信仰上はもちろん、文学に美術に認められる。文学の面では、平安・鎌倉文学に顕著であり、思想的基盤としてだけでなく極楽浄土の荘厳と六道輪廻の受苦の叙述が大きな影響を与えた。<br>
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 本書は当時から広く読まれ、これを指南とした念仏結社を生じたことにも知られるように、後代まで大きな影響を及ぼした。信仰上はもちろん、文学に美術に認められる。文学の面では、平安・鎌倉文学に顕著であり、思想的基盤としてだけでなく極楽浄土の荘厳と六道輪廻の受苦の叙述が大きな影響を与えた。<br>
美術の面では、多くの極楽図・地獄図が描かれ、ことに宮中で地獄図を掛けた部屋から夜な夜な地獄の叫びが聞こえると噂され、宮中がパニックになったことが伝えられている。
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 美術の面では、多くの極楽図・地獄図が描かれ、ことに宮中で地獄図を掛けた部屋から夜な夜な地獄の叫びが聞こえると噂され、宮中がパニックになったことが伝えられている。

2022年10月26日 (水) 16:17時点における版

往生要集

3巻(本末6帖)。永観2年(984年)11月書き始め、翌年寛和元年(985年)4月完成。著者:恵心僧都源信

 日本の平安時代中期の浄土教典籍の代表作であり、往生極楽に関する経論の要文を集め、(1)厭離穢土(おんりえど)、(2)欣求浄土(ごんぐじょうど)、(3)極楽証拠、(4)正修念仏、(5)助念方法、(6)別時念仏、(7)念仏利益、(8)念仏証拠、(9)往生諸業、(10)問答料簡の十大門に分けて論じている。
 流転(るてん)輪廻(りんね)の六道の迷いを捨てて、阿弥陀仏の極楽浄土に生れることを勧め、浄土に生れるには何がもっとも大切であるかを明らかにした、画期的な意義をになった体系的組織的な論書である。十門の分類は整然としていて、きわめて懇切丁寧に説かれている。本書の中心は念仏にあって、「往生の業は念仏を本と為す」という表現はそれを端的に物語る。ただ念仏には仏の姿を観想する念仏とその名を称える念仏との2を立てて観想に優位を与え、また平生(へいぜい)の念仏と共に臨終の念仏を重視し、臨終の行儀を強調した。

 この書は、完成後中国に送られて、これを遣宋本というが、初稿本とは多少の差異がある。また、中国でも高く評価され、経蔵に入れると必ずこの本が論書の棚から経典の段に移ることから、この書は経ではないかとし、著者の源信を「日本小釈迦源信如来」と呼んだと言う伝説がある。

文学・美術への影響

 本書は当時から広く読まれ、これを指南とした念仏結社を生じたことにも知られるように、後代まで大きな影響を及ぼした。信仰上はもちろん、文学に美術に認められる。文学の面では、平安・鎌倉文学に顕著であり、思想的基盤としてだけでなく極楽浄土の荘厳と六道輪廻の受苦の叙述が大きな影響を与えた。
 美術の面では、多くの極楽図・地獄図が描かれ、ことに宮中で地獄図を掛けた部屋から夜な夜な地獄の叫びが聞こえると噂され、宮中がパニックになったことが伝えられている。