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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
(三身)
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 [[だいじょう|大乗]]仏教で説かれる[[ほっしん|法身]]・[[ほうじん|報身]]・[[おうじん|応身]]のこと。
 
 [[だいじょう|大乗]]仏教で説かれる[[ほっしん|法身]]・[[ほうじん|報身]]・[[おうじん|応身]]のこと。
  
*'''法身'''(dharma-kaaya) 真理([[ほう|法]])の身体の意味で、永遠不変の真理([[しんにょ|真如]])の当体を指し、法仏(ほうぶつ)・法身仏(ほつしんぶつ)・法性身(ほつしようしん)・自性身(じしようしん)・如如仏(によによぶつ)・如如身(によによしん)・実仏(じつぶつ)・第一身(だいいつしん)とも、また真身(しんじん)とも呼ばれる。絶対的真理そのものをさし、永遠不滅ではあるが人格性を持たないもの
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*'''法身'''(dharma-kāya) 真理([[ほう|法]])の身体の意味で、永遠不変の真理([[しんにょ|真如]])の当体を指し、法仏(ほうぶつ)・法身仏(ほつしんぶつ)・法性身(ほつしようしん)・自性身(じしようしん)・如如仏(によによぶつ)・如如身(によによしん)・実仏(じつぶつ)・第一身(だいいつしん)とも、また真身(しんじん)とも呼ばれる。絶対的真理そのものをさし、永遠不滅ではあるが人格性を持たないもの
*'''応身'''(nirmaaNa-kaaya)は、さまざまな[[しゅじょう|衆生]]の救済のために、それらに応じて現れる身体で、応仏(おうぶつ)・応身仏(おうじんぶつ)・応化身(おうげしん)などとも呼ばれる。歴史的世界に現れたブッダの身体であって、人格性を持つものではあるが[[むじょう|無常]]な存在
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*'''応身'''(nirmāṇa-kāya)は、さまざまな[[しゅじょう|衆生]]の救済のために、それらに応じて現れる身体で、応仏(おうぶつ)・応身仏(おうじんぶつ)・応化身(おうげしん)などとも呼ばれる。歴史的世界に現れたブッダの身体であって、人格性を持つものではあるが[[むじょう|無常]]な存在
*'''報身'''(saMbhoga-kaaya)は、[[ぶつ|仏]]となるための因としての[[ぎょう|行]]を積み、その報いとしての完全な[[くどく|功徳]]を備えた仏身である。衆生済度の願いと実践を重ねることによって報われた功徳(因行果徳(いんぎようかとく))を持つ身体であり、真理の生きた姿である
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*'''報身'''(saṃbhoga-kāya)は、[[ぶつ|仏]]となるための因としての[[ぎょう|行]]を積み、その報いとしての完全な[[くどく|功徳]]を備えた仏身である。衆生済度の願いと実践を重ねることによって報われた功徳(因行果徳(いんぎようかとく))を持つ身体であり、真理の生きた姿である
  
 
 三身説にはこの他、
 
 三身説にはこの他、
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などがある。
 
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 歴史的に見れば中期大乗仏教(4世紀)までは法身(永遠身)と色身(しきしん)(ruupa-kaaya 現実身)の二身説であった。4世紀から5世紀にかけて永遠相(本質界)と現実相(現象界)の関係づけないし統一が問題となり、それが仏身論に及んで法身と色身(応身)を統一したものとして報身が立てられ、三身説となったと考えられる。
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 歴史的に見れば中期大乗仏教(4世紀)までは法身(永遠身)と色身(しきしん)(rūpa-kāya 現実身)の二身説であった。4世紀から5世紀にかけて永遠相(本質界)と現実相(現象界)の関係づけないし統一が問題となり、それが仏身論に及んで法身と色身(応身)を統一したものとして報身が立てられ、三身説となったと考えられる。
  
 
 中国から日本にかけては、三身のうちのどれを表(おもて)に立てるかで論議がおこる。
 
 中国から日本にかけては、三身のうちのどれを表(おもて)に立てるかで論議がおこる。

2021年4月19日 (月) 15:40時点における版

三身

 仏陀の三つの身体。
 大乗仏教で説かれる法身報身応身のこと。

  • 法身(dharma-kāya) 真理()の身体の意味で、永遠不変の真理(真如)の当体を指し、法仏(ほうぶつ)・法身仏(ほつしんぶつ)・法性身(ほつしようしん)・自性身(じしようしん)・如如仏(によによぶつ)・如如身(によによしん)・実仏(じつぶつ)・第一身(だいいつしん)とも、また真身(しんじん)とも呼ばれる。絶対的真理そのものをさし、永遠不滅ではあるが人格性を持たないもの
  • 応身(nirmāṇa-kāya)は、さまざまな衆生の救済のために、それらに応じて現れる身体で、応仏(おうぶつ)・応身仏(おうじんぶつ)・応化身(おうげしん)などとも呼ばれる。歴史的世界に現れたブッダの身体であって、人格性を持つものではあるが無常な存在
  • 報身(saṃbhoga-kāya)は、となるための因としてのを積み、その報いとしての完全な功徳を備えた仏身である。衆生済度の願いと実践を重ねることによって報われた功徳(因行果徳(いんぎようかとく))を持つ身体であり、真理の生きた姿である

 三身説にはこの他、

  • 法身・応身・化身
  • 法身・解脱身(げだつしん)・化身
  • 自性身(じしょうしん)・受用身(じゅゆうしん)・変化身(へんげしん)

などがある。

 歴史的に見れば中期大乗仏教(4世紀)までは法身(永遠身)と色身(しきしん)(rūpa-kāya 現実身)の二身説であった。4世紀から5世紀にかけて永遠相(本質界)と現実相(現象界)の関係づけないし統一が問題となり、それが仏身論に及んで法身と色身(応身)を統一したものとして報身が立てられ、三身説となったと考えられる。

 中国から日本にかけては、三身のうちのどれを表(おもて)に立てるかで論議がおこる。