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太子が経典の解釈に困っているとき、夢に仏が現れて教えたという伝えからその名がある。本尊の[[くぜかんのん|救世観音]]像はながく秘仏であったが、1884年(明治17)にフェノロサと岡倉天心によって世に出され、代表的な飛鳥仏として知られるようになった。堂内に行信僧都像・道詮律師像があり、奈良・平安期の重要な肖像彫刻となっている。 | 太子が経典の解釈に困っているとき、夢に仏が現れて教えたという伝えからその名がある。本尊の[[くぜかんのん|救世観音]]像はながく秘仏であったが、1884年(明治17)にフェノロサと岡倉天心によって世に出され、代表的な飛鳥仏として知られるようになった。堂内に行信僧都像・道詮律師像があり、奈良・平安期の重要な肖像彫刻となっている。 | ||
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2008年1月10日 (木) 14:37時点における最新版
夢殿
法隆寺東院にある石造二重基壇の上に建てられた八角円堂。聖徳太子の斑鳩宮(いかるがのみや)跡と伝えられる地に、739年(天平11)に行信(ぎようしん)が建立した。
太子が経典の解釈に困っているとき、夢に仏が現れて教えたという伝えからその名がある。本尊の救世観音像はながく秘仏であったが、1884年(明治17)にフェノロサと岡倉天心によって世に出され、代表的な飛鳥仏として知られるようになった。堂内に行信僧都像・道詮律師像があり、奈良・平安期の重要な肖像彫刻となっている。