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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(毘盧遮那佛)
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=毘盧遮那佛=
 
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サンスクリット語 vairocanaの音写。
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サンスクリット語 Vairocana の音写。
  
 
 [[けごんきょう|華厳経]]および[[だいにちきょう|大日経]]・[[こんごうちょうきょう|金剛頂経]]その他の[[みっきょう|密教]]の教主としての[[ぶつ|仏]]の名前で「輝きわたるもの」の意味である。<br>
 
 [[けごんきょう|華厳経]]および[[だいにちきょう|大日経]]・[[こんごうちょうきょう|金剛頂経]]その他の[[みっきょう|密教]]の教主としての[[ぶつ|仏]]の名前で「輝きわたるもの」の意味である。<br>
 もとインドではvairocanaとは「輝く太陽に由来するもの」を意味した。日本密教では「光明遍照」と訳し、あるいは「[[だいにちにょらい|大日如来]]」と呼んでいる。ただし、その大日如来を『[[こんごうちょうきょう|金剛頂経]]』(初会金剛頂経)に適用するとき、[[まんだら|曼荼羅]]の中尊、すなわち[[ほうじん|報身]]としての大日の原語は依然vairocanaであるものの、それが曼荼羅の全体、[[ほっしん|法身]]としての大日をいうときの原語はmahaa-vairocanaである。
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 もとインドではVairocanaとは「輝く太陽に由来するもの」を意味した。日本密教では「光明遍照」と訳し、あるいは「[[だいにちにょらい|大日如来]]」と呼んでいる。ただし、その大日如来を『[[こんごうちょうきょう|金剛頂経]]』(初会金剛頂経)に適用するとき、[[まんだら|曼荼羅]]の中尊、すなわち[[ほうじん|報身]]としての大日の原語は依然Vairocanaであるものの、それが曼荼羅の全体、[[ほっしん|法身]]としての大日をいうときの原語はmahā-vairocanaである。
  
 
 「vairocana」は、太陽の光線を意味して、[[てんだい|天台]]では「遍一切処」と翻じて、[[ほっしん|法身]]の佛と見る。そして盧遮那を「光明遍照」と翻じて、報身佛とする。<br>
 
 「vairocana」は、太陽の光線を意味して、[[てんだい|天台]]では「遍一切処」と翻じて、[[ほっしん|法身]]の佛と見る。そして盧遮那を「光明遍照」と翻じて、報身佛とする。<br>
 
 [[けごんしゅう|華厳宗]]では、毘盧遮那も盧遮那もまったく同一のもので、単に表現の違いとみる。ただし『六十華厳』には「毘盧遮那」の訳語は見あたらず、すべて「盧遮那」となっている。『八十華厳』には「毘盧遮那」の訳語が随処に見られることから、原語は「vairocana」であったと見られる。しかし、旧訳はすべて「盧遮那」であるから、その原語は「rocana」であったのではないかと見る説がある。ただし『六十華厳』から『八十華厳』に移る間に「rocana」が「vairocana」に変わったと見る理由は見出すことができないから、「盧遮那」の原語も「vairocana」であったと見られる。
 
 [[けごんしゅう|華厳宗]]では、毘盧遮那も盧遮那もまったく同一のもので、単に表現の違いとみる。ただし『六十華厳』には「毘盧遮那」の訳語は見あたらず、すべて「盧遮那」となっている。『八十華厳』には「毘盧遮那」の訳語が随処に見られることから、原語は「vairocana」であったと見られる。しかし、旧訳はすべて「盧遮那」であるから、その原語は「rocana」であったのではないかと見る説がある。ただし『六十華厳』から『八十華厳』に移る間に「rocana」が「vairocana」に変わったと見る理由は見出すことができないから、「盧遮那」の原語も「vairocana」であったと見られる。

2018年6月11日 (月) 15:09時点における最新版

毘盧遮那佛

サンスクリット語 Vairocana の音写。

 華厳経および大日経金剛頂経その他の密教の教主としてのの名前で「輝きわたるもの」の意味である。
 もとインドではVairocanaとは「輝く太陽に由来するもの」を意味した。日本密教では「光明遍照」と訳し、あるいは「大日如来」と呼んでいる。ただし、その大日如来を『金剛頂経』(初会金剛頂経)に適用するとき、曼荼羅の中尊、すなわち報身としての大日の原語は依然Vairocanaであるものの、それが曼荼羅の全体、法身としての大日をいうときの原語はmahā-vairocanaである。

 「vairocana」は、太陽の光線を意味して、天台では「遍一切処」と翻じて、法身の佛と見る。そして盧遮那を「光明遍照」と翻じて、報身佛とする。
 華厳宗では、毘盧遮那も盧遮那もまったく同一のもので、単に表現の違いとみる。ただし『六十華厳』には「毘盧遮那」の訳語は見あたらず、すべて「盧遮那」となっている。『八十華厳』には「毘盧遮那」の訳語が随処に見られることから、原語は「vairocana」であったと見られる。しかし、旧訳はすべて「盧遮那」であるから、その原語は「rocana」であったのではないかと見る説がある。ただし『六十華厳』から『八十華厳』に移る間に「rocana」が「vairocana」に変わったと見る理由は見出すことができないから、「盧遮那」の原語も「vairocana」であったと見られる。