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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
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+ | この内、自性身・受用身・変化身は唯識で言われる。 | ||
+ | : 1に自性身。謂く、諸々の如来の真浄法界である。受用と変との平等の所依である。相を離れて寂然なり。諸の戯論を絶えて、無辺際の真浄功徳を具える。是れ一切法の平等の実性なり。即ち此の自性亦法身と名づく。大功徳法の依止する所なるが故に。 | ||
+ | : 2に受用身。此れに二種ある。一に自受用、謂く、諸如来三無数劫、無量の福慧の資糧を修集し起こす所の無量真実の功徳と及び極圓浄常遍の色身なり。相続して湛然なり。未来際に尽くして恒常に自ら広大の法楽を受用す。二に他受用。謂く諸如来平等智に由って微妙の浄区独身を示現するなり。純浄土に居して十地に住み諸々の菩薩衆の為に、大神通を現し、正法輪を転じて衆の疑網を決し彼の大乗の法楽を受用す。此の二身を合して受用身と名づく。 | ||
+ | : 3に変化身。謂く、諸如来成所作智に由って変現する無量の隋類の化身なり。浄穢土に居し、未登地の諸菩薩と二乗と異生との為に、彼の機宜を称ひて、通を現じ法を説いて、各々諸々の利楽事を獲得せしむ。 〔成唯識論10〕 | ||
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歴史的に見れば中期大乗仏教(4世紀)までは法身(永遠身)と色身(しきしん)(rūpa-kāya 現実身)の二身説であった。4世紀から5世紀にかけて永遠相(本質界)と現実相(現象界)の関係づけないし統一が問題となり、それが仏身論に及んで'''法身'''と'''色身(応身)'''を統一したものとして'''報身'''が立てられ、三身説となったと考えられる。 | 歴史的に見れば中期大乗仏教(4世紀)までは法身(永遠身)と色身(しきしん)(rūpa-kāya 現実身)の二身説であった。4世紀から5世紀にかけて永遠相(本質界)と現実相(現象界)の関係づけないし統一が問題となり、それが仏身論に及んで'''法身'''と'''色身(応身)'''を統一したものとして'''報身'''が立てられ、三身説となったと考えられる。 | ||
中国から日本にかけては、三身のうちのどれを表(おもて)に立てるかで論議がおこる。 | 中国から日本にかけては、三身のうちのどれを表(おもて)に立てるかで論議がおこる。 |
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三身
仏陀の三つの身体。
大乗仏教で説かれる法身・応身・報身のこと。
- 法身(dharma-kāya)
- 真理(法)の身体の意味で、永遠不変の真理(真如)の当体を指し、法仏(ほうぶつ)・法身仏(ほっしんぶつ)・法性身(ほっしょうしん)・自性身(じしょうしん)・如如仏(にょにょぶつ)・如如身(にょにょしん)・実仏(じつぶつ)・第一身(だいいっしん)とも、また真身(しんじん)とも呼ばれる。絶対的真理そのものをさし、永遠不滅ではあるが人格性を持たないもの
- 応身(nirmāṇa-kāya)
- さまざまな衆生の救済のために、それらに応じて現れる身体で、応仏(おうぶつ)・応身仏(おうじんぶつ)・応化身(おうげしん)などとも呼ばれる。歴史的世界に現れたブッダの身体であって、人格性を持つものではあるが無常な存在
- 報身(saṃbhoga-kāya)
- 仏となるための因としての行を積み、その報いとしての完全な功徳を備えた仏身である。衆生済度の願いと実践を重ねることによって報われた功徳(因行果徳(いんぎょうかとく))を持つ身体であり、真理の生きた姿である
三身説にはこの他、
- 法身・応身・化身
- 法身・解脱身(げだつしん)・化身
- 自性身(じしょうしん)・受用身(じゅゆうしん)・変化身(へんげしん)
などがある。
この内、自性身・受用身・変化身は唯識で言われる。
- 1に自性身。謂く、諸々の如来の真浄法界である。受用と変との平等の所依である。相を離れて寂然なり。諸の戯論を絶えて、無辺際の真浄功徳を具える。是れ一切法の平等の実性なり。即ち此の自性亦法身と名づく。大功徳法の依止する所なるが故に。
- 2に受用身。此れに二種ある。一に自受用、謂く、諸如来三無数劫、無量の福慧の資糧を修集し起こす所の無量真実の功徳と及び極圓浄常遍の色身なり。相続して湛然なり。未来際に尽くして恒常に自ら広大の法楽を受用す。二に他受用。謂く諸如来平等智に由って微妙の浄区独身を示現するなり。純浄土に居して十地に住み諸々の菩薩衆の為に、大神通を現し、正法輪を転じて衆の疑網を決し彼の大乗の法楽を受用す。此の二身を合して受用身と名づく。
- 3に変化身。謂く、諸如来成所作智に由って変現する無量の隋類の化身なり。浄穢土に居し、未登地の諸菩薩と二乗と異生との為に、彼の機宜を称ひて、通を現じ法を説いて、各々諸々の利楽事を獲得せしむ。 〔成唯識論10〕
歴史的に見れば中期大乗仏教(4世紀)までは法身(永遠身)と色身(しきしん)(rūpa-kāya 現実身)の二身説であった。4世紀から5世紀にかけて永遠相(本質界)と現実相(現象界)の関係づけないし統一が問題となり、それが仏身論に及んで法身と色身(応身)を統一したものとして報身が立てられ、三身説となったと考えられる。
中国から日本にかけては、三身のうちのどれを表(おもて)に立てるかで論議がおこる。