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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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 三根とも呼ばれる。見道・修道・無学道の三道の無漏智をいう。
 
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==1.未知当知根(Anājñātamājñāsyāmīndriya)==
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 [[けんどう|見道]]にあっては[[むろち|無漏智]]が無始より以来いまだかつて知らなかった苦集滅道の[[したい|四諦]]の[[きょう|境]]に向ってここよりまさに彼を知らんとして行動するものであるから、その無漏智を未知当知根と名く。見道にあっては苦法智忍より道類智忍に至る十五心のこと、この十五心において上下二界の四諦の境を観ずる間は、何れも無漏智がいまだかつて知らない境界をこれより当に知らんとして運転し始めるのである。さてこの未知当知根は無漏の慧根を主とするのだが、同時相応の[[しんしんじょほう|心心所法]]について最も勝能あるものをあい従わせ、[[ぜんこん|善根]]と、喜楽捨の[[さんじゅこん|三受根]]と、信等の[[ごこん|五根]]と、都合九根を体とする。
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==2.已知根(Ājñendriya)==
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 これは[[しゅどう|修道]]の無漏智である。修道にあっては上下の四諦においていまだかつて知らずと云ふものなく、いずれも已に知りおわるのだが、ただ[[しゅわく|修惑]]を断ぜんがために数々四諦の境を観ずるにとどまれば、これを[[きちこん|已知根]]と名ける。その九根を体とすると、上の未知根と同じである。
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==3.具知根(Ājñātāvĩndriya)==
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 これは[[むがくこん|無學根]]の無漏智である。尽智無生智のこと。無学の聖者は、[[じんち|尽智]]あるいは[[むしょうち|無生智]]を起すからこれ已に四諦の理を知ると知られる。この自知心を有するを[[ぐち|具知]]と名ける。この具知はまた九根をあわせるから上のようである。已上は新訳の名である。旧訳だと未知欲知根、知根、知巳根と呼ばれている。〔倶舎論2、智度論23〕

2021年8月3日 (火) 14:43時点における最新版

三無漏根

 三根とも呼ばれる。見道・修道・無学道の三道の無漏智をいう。

1.未知当知根(Anājñātamājñāsyāmīndriya)

 見道にあっては無漏智が無始より以来いまだかつて知らなかった苦集滅道の四諦に向ってここよりまさに彼を知らんとして行動するものであるから、その無漏智を未知当知根と名く。見道にあっては苦法智忍より道類智忍に至る十五心のこと、この十五心において上下二界の四諦の境を観ずる間は、何れも無漏智がいまだかつて知らない境界をこれより当に知らんとして運転し始めるのである。さてこの未知当知根は無漏の慧根を主とするのだが、同時相応の心心所法について最も勝能あるものをあい従わせ、善根と、喜楽捨の三受根と、信等の五根と、都合九根を体とする。

2.已知根(Ājñendriya)

 これは修道の無漏智である。修道にあっては上下の四諦においていまだかつて知らずと云ふものなく、いずれも已に知りおわるのだが、ただ修惑を断ぜんがために数々四諦の境を観ずるにとどまれば、これを已知根と名ける。その九根を体とすると、上の未知根と同じである。

3.具知根(Ājñātāvĩndriya)

 これは無學根の無漏智である。尽智無生智のこと。無学の聖者は、尽智あるいは無生智を起すからこれ已に四諦の理を知ると知られる。この自知心を有するを具知と名ける。この具知はまた九根をあわせるから上のようである。已上は新訳の名である。旧訳だと未知欲知根、知根、知巳根と呼ばれている。〔倶舎論2、智度論23〕