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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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(上座部仏教)
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テーラーヴァーダ(Thera-vāda)
 
テーラーヴァーダ(Thera-vāda)
  
 釈尊が入滅されてから百余年後に、大天(Mahādeva)という進歩派の比丘が、5ヶ条の教義を唱えた([[だいてんごじ|大天五事]])のに対し、保守派が反対し、教団は上座・大衆の2部に分裂した。この保守的な上座部から、仏滅3百年の初め頃に、[[せついっさいうぶ|説一切有部]]が分れて出、根本上座部は有部の勢力に追われて雪山(Himālaya)地方に移り、[[せっせんぶ|雪山部]]と名乗った。<br>
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 釈尊が入滅されてから百余年後に、[[だいてん|大天]](Mahādeva)という進歩派の比丘が、5ヶ条の教義を唱えた(大天[[ごじ|五事]])のに対し、保守派が反対し、教団は上座・大衆の2部に分裂した。この保守的な上座部から、仏滅3百年の初め頃に、[[せついっさいうぶ|説一切有部]]が分れて出、根本上座部は有部の勢力に追われて雪山(Himālaya)地方に移り、[[せっせんぶ|雪山部]]と名乗った。<br>
 
 その後、有部から8部が分出し、上座部は本末合わせて11部となった。その中で有部は最も勢力が大きく、最もよく上座部の説を代表している。
 
 その後、有部から8部が分出し、上座部は本末合わせて11部となった。その中で有部は最も勢力が大きく、最もよく上座部の説を代表している。
  
 
 この流れが、東南アジアに伝わったもので、[[なんぽうぶっきょう|南方仏教]]とも呼ばれている。
 
 この流れが、東南アジアに伝わったもので、[[なんぽうぶっきょう|南方仏教]]とも呼ばれている。

2023年6月13日 (火) 16:25時点における版

上座部仏教

テーラーヴァーダ(Thera-vāda)

 釈尊が入滅されてから百余年後に、大天(Mahādeva)という進歩派の比丘が、5ヶ条の教義を唱えた(大天五事)のに対し、保守派が反対し、教団は上座・大衆の2部に分裂した。この保守的な上座部から、仏滅3百年の初め頃に、説一切有部が分れて出、根本上座部は有部の勢力に追われて雪山(Himālaya)地方に移り、雪山部と名乗った。
 その後、有部から8部が分出し、上座部は本末合わせて11部となった。その中で有部は最も勢力が大きく、最もよく上座部の説を代表している。

 この流れが、東南アジアに伝わったもので、南方仏教とも呼ばれている。