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サンスクリットの原語は抽象名刺をつくる接尾辞であり、「~であること」「~の本質」「~という事実」などの意味である。[[ほっしょう|法性]](dharmataa)、[[ぜんましょう|善汚性]](klistatva)などで使われている。 | サンスクリットの原語は抽象名刺をつくる接尾辞であり、「~であること」「~の本質」「~という事実」などの意味である。[[ほっしょう|法性]](dharmataa)、[[ぜんましょう|善汚性]](klistatva)などで使われている。 | ||
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2005年5月12日 (木) 11:55時点における版
性
prakRti
pracRti, svabhaava, bhaavaなどの用例がある。
存在するものの変わらない体質のこと。自性などと同じ意味である。
また、真理のことを指すこともある。華厳宗においては性起などと用いられるときの性がこれに当たる。この意味では、しばしば相に対する概念である。
- 性とは、即ち真如の妙理なり。 〔法華二巻抄 上〕
gotra
生まれつきの素質などを言う。「種性」「種姓」と同じ意味である。
-otaa
-otaa, -otvaなど
サンスクリットの原語は抽象名刺をつくる接尾辞であり、「~であること」「~の本質」「~という事実」などの意味である。法性(dharmataa)、善汚性(klistatva)などで使われている。