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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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 いかなるものもそこに存在しない三昧の境地。[[むしきかい|無色界]]の4処のうちの第3。無色界の[[ぜんじょう|禅定]]のうち、第3に位すること。何も存在しないと観察すること。<br />
 
 いかなるものもそこに存在しない三昧の境地。[[むしきかい|無色界]]の4処のうちの第3。無色界の[[ぜんじょう|禅定]]のうち、第3に位すること。何も存在しないと観察すること。<br />
 
〔[[しゅういもんろん|集異門論]]6 T26-392b〕〔[[ゆがろん|瑜伽論]]3 T30-292b〕〔[[くしゃろん|倶舎論]]8〕〔[[いぶしゅうりんろん|異部宗輪論]] T49-15c〕
 
〔[[しゅういもんろん|集異門論]]6 T26-392b〕〔[[ゆがろん|瑜伽論]]3 T30-292b〕〔[[くしゃろん|倶舎論]]8〕〔[[いぶしゅうりんろん|異部宗輪論]] T49-15c〕
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 のちの仏教では、無所有処定は、四無色定の第三番目とされ、この境地に達するというのは、無色界の無所有処と呼ばれる場所(無色界であるから、本当は場所は特定できないことになっているが)に住することであると解釈される

2023年12月26日 (火) 09:40時点における版

無所有處

ākiṃcanya-āyatana (S)、ākiñcañña-āyatana (P)

 いかなるものもそこに存在しない三昧の境地。無色界の4処のうちの第3。無色界の禅定のうち、第3に位すること。何も存在しないと観察すること。
集異門論6 T26-392b〕〔瑜伽論3 T30-292b〕〔倶舎論8〕〔異部宗輪論 T49-15c〕

 のちの仏教では、無所有処定は、四無色定の第三番目とされ、この境地に達するというのは、無色界の無所有処と呼ばれる場所(無色界であるから、本当は場所は特定できないことになっているが)に住することであると解釈される