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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(六無為の非択滅)
(六無為の非択滅)
 
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# '''縁闕所顕の真如'''  [[うい|有為]](現象的存在)が生じる縁が欠けてそれが生じないときに顕れてくる真如。
 
# '''縁闕所顕の真如'''  [[うい|有為]](現象的存在)が生じる縁が欠けてそれが生じないときに顕れてくる真如。
  
   不由択力、本性清浄、或縁闕所顕故、名非択滅。〔『成論』2,T31-6c〕
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   不由択力、本性清浄、或縁闕所顕故、名非択滅。〔『成唯識論』2,T31-6c〕

2024年2月6日 (火) 09:57時点における最新版

非択滅

apratisaṃkhyā-nirodha (S)

三無為の非択滅

 〈有部〉が説く三無為(虚空択滅非択滅)の一つ。簡択力智慧)によって得られる滅でない空寂なるもの、すなわち、因と縁とを欠いて現象として生じないもの。
 たとえば、ある一つの物(色)を眼(眼識)で見るとき、他の物を見る・聞く・嗅ぐ・触るという感覚(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識の五識)は生じないままであることをいう。縁闕不生の非択滅という。〔『倶舎』1、T29-1c〕

六無為の非択滅

 〈唯識〉が説く六無為(虚空・択滅・非択滅不動想受滅真如)の一つ。
 簡択力によらなくて得られる真如をいう。これには次の二つがある。

  1. 本性清浄の真如  煩悩を有して汚れた真如を有垢真如、汚れを離れた真如を無垢真如といい、真如は本性として清浄であるという点から、本性として清浄な真如を非択滅無為の一つに含める。
  2. 縁闕所顕の真如  有為(現象的存在)が生じる縁が欠けてそれが生じないときに顕れてくる真如。
 不由択力、本性清浄、或縁闕所顕故、名非択滅。〔『成唯識論』2,T31-6c〕